
投票に行けない若者がいる
政治が見ている「若者」は多くの場合、ある程度余裕のある若者たちかもしれない。しかし私たちの相談窓口に来る若者には、自ら命を絶とうと思うほど一人で悩み苦しんでいる人もいる。
「若者は投票に行こう」「政治に関心を持ちましょう」と言われるが、相談者たちに「それは大変ですね。おつらいですね。でも投票に行ってください」とは口が裂けても言えない。
ただ、政治とは本来、そうした余裕のない人のためにあるはずだ。しかしその存在がぼやけている気がする。政治が余裕のない人たちの存在に目をきちんと向けているのか、疑問だ。
簡単に「投票に行こう」と言うだけではなく、なぜ投票に行けないのか、投票に行く余裕すらない人たちの存在にまず気づくことが必要だ。
孤独・孤立対策をもっと語れ
我々の取り組む孤独・孤立対策は、今回の政府の「骨太の方針」にも昨年に引き続き盛り込まれた重要政策だ。だが孤独・孤立を防ぐ具体策を公約に掲げる政党は少ない。
孤立・孤独を防ぐ上で大事なのは「つながり」だ。つながりを作るためには人が必要だが、これまで地域でつながりを担ってきた民生委員、児童委員が高齢化している。
さらにコロナ禍でつながりの多くが失われている。物価高は社会的に弱い立場にある人たちに最も影響を及ぼす。コロナ禍の2年半、さまざまな悩みや苦しみを抱えていた人たちばかりだ。リーマン・ショック時に自殺者が増えたのは回復期に入ってからだ。今、少しずつ日常が回復しつつあるが、こうした時期に自殺者が増える可能性は高い。
支援制度につきまとうのは「頼ることは負け」という負のスティグマ(らく印)だ。首相を含めた政治家が、例えば「誰かに頼ることは悪いことではない」と語ってくれるだけでも、悩み苦しむ人たちの背中を支援の窓口へ押すことになる。
根源的にはリベラル
低投票率は世の中の政治に対する関心が低いことの表れであり、関心を持たなくても生きていける状況があるからとも言える。そのことが必ずしも悪いことだとは思わない。
しかし、民主主義のためには、選挙に行って政治を監視する力を発揮しなければならない。例えば「投票先がない」と言う人は、他の誰かのためになることを考えて、その人の役に立つ政策を掲げる政党や候補に投票してみてはどうか。
「若者が保守化している」といわれる。しかし米大統領選での「サンダース現象」などを見ても分かるとおり、若者は常に変化を求めており、根源的にはリベラルだ。
一方で、変化を求める若者は、少しでも社会を変えることができるならば、何もしない野党よりは与党のほうがましだと考える。だからこそ野党にはもっと幅を持ってもらいたい。

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