ポリティカルな日々

参院選と安倍さん 「戦後日本」をめぐる闘い今も

佐藤千矢子・論説委員
  • 文字
  • 印刷
自民党本部に設置された安倍晋三元首相の献花台を訪れた人たち=東京都千代田区で2022年7月15日、竹内幹撮影
自民党本部に設置された安倍晋三元首相の献花台を訪れた人たち=東京都千代田区で2022年7月15日、竹内幹撮影

 参院選最終盤の7月8日、安倍晋三元首相が街頭演説中に凶弾に倒れて約2週間がたつ。捜査は継続中で、今なお多くの人々が衝撃を受けている。自分もそうだが、一人の政治記者として現段階までに見て感じたことを、先日の参院選の結果とともに報告したい。

 「安倍さんが撃たれたようだ」。一報を聞いたのは、毎日新聞論説室での昼の会議中だった。この日はジョンソン英首相の辞任表明が話題になっていたが、すぐに社説の変更が決定された。

 岸田文雄首相が遊説先の山形県から帰京。閣僚が遊説を中止して首相官邸に集まり、自民、公明、立憲民主、日本維新の会、国民民主などの主要政党が、午後からの党幹部の遊説を中止した。

 警備体制の点検のためにやむを得ないとはいえ「これはまずい」と思った。このまま演説が再開されなかったら選挙はどうなるのか。言論が暴力に負けてしまう。

 政治家たちからは「正直、マイクを握って人前に立つのが怖い」「防弾チョッキを着るのだろうか」という声が聞こえてきた。

 自由で公正な選挙が安全に行われることの重みをこの時ほど感じたことはない。

 諸外国を見渡せば、途上国や専制国家、最近では米大統領選に至るまで、選挙がきちんと行われることは貴重だ。暴力によって選挙結果を覆そうとするような、米大統領選をめぐる混乱は、民主主義の危機を強烈に印象づけた。

 幸い各党幹部の遊説は再開が決まった。

 首相は安倍氏の死去後、記者団に対し、哀悼の言葉に続いて次のように語った。「明日は参院選の最終日。民主主義の根幹の自由で公正な選挙は絶対に守らなければならない。決して暴力に屈しないという断固たる決意のもと、明日は予定通り選挙活動を進める。選挙戦の最後の瞬間までそのことを自分の声で直接国民に訴え続けたい」

 これを聞いて私は正直、ほっとした。選挙戦は続くのだ。岸田氏の言葉は政治家としての本心を語っているように感じられた。

 ◇

 安倍氏銃撃事件で送検された山上徹也容疑者は、宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」への恨みから、元首相を狙ったと見られている。政治的信条ではなく個人的な逆恨みによる犯行の可能性が高く、テロの分類には入らないかもしれない。だが、選挙遊説中に政治家を襲うのは、人々に恐怖心を植え付け、言論を暴力で封じようとする行為にほかならない。

 選挙戦最終日の9日、その思いを強くした。銀座と川崎で街頭演説を見たが、警備要員は明らかに通常より多く、ピリピリした空気が流れていた。特に、銀座での自民・生稲晃子氏の街頭演説会は、聴衆が多かっただけに雰囲気が違った。

 演説会は、異例の黙とうから始まった。私の近くにいた聴衆の間からは「模倣犯がいたら怖いよね」との声が漏れた。

 生稲氏は感極まった様子で、何度か泣きながら最後の訴えをしていた。事件については「民主主義の根幹を脅かすこんな行為、許していいんでしょうか。私は許さない。絶対に許しません」と述べ、安倍氏の遺志を継ぐ決意を語った。

 生稲氏に限らないが、私が不満に思ったのは、政治家や候補者として「民主主義を脅かす行為を許さない」というところで議論が止まっていたことだ。

 選挙という民主主義の基盤が狙われた事件を前に踏み込みが足りない。政治家や候補者なら、何が問われているのか、民主主義を守るために何をしなければならないのか、それらを語る必要がある。時間が足りないというのは言い訳にならない。コンパクトにいくらでも語ることができる。

 何をすべきかの一つの答えは、言論を鍛え直すことだと思う。「何を言っても変わらない」「選挙に行っても変わらない」ではなく、「声をあげれば世の中は変えることができる」「民意を反映して変わらなければならない」という社会にしていく必要がある。その基本に立ち返ることだ。暴力ではなく言論で社会を変えていく。そのためには、国会の再生が何よりも急務になる。

 ◇

 参院選の結果を少しだけ見ておこう。自民は63議席を獲得し、予想通り大勝した。立憲民主は改選議席から6議席減らし、日本維新の会は、比例で立憲を上回った。れいわ新選組、NHK党、参政党などの少数政党が新たに議席を獲得し、存在感を示した。

 心配された投票率は52.05%。前回の2019年参院選の48.80%を3.25ポイント上回り、5割を割り込む事態は避けられたが、それでも戦後4番目の低さで、長期低落傾向は変わっていない。

 安倍氏死去の影響は限定的だったと見られる。32ある1人区のうち、接戦が伝えられた岩手、山梨、新潟などで自民新人が立憲現職を破ったのは、安倍氏の弔い戦の効果が一押しした可能性はあるが、比例代表は違った。

 自民は比例代表で18議席にとどまり、前回よりも1議席減らした。得票数は1825万票余りで前回を上回ったが、これは投票率が上がったためで、得票率34・4%は前回より1ポイント低い。安倍氏の事件に有権者は冷静に対応したということではないかと思う。また自民の大勝は、野党の多弱化による影響が大きく、自民そのものへの信頼が回復しているわけではないこともうかがわせた。

 ◇

 最後に安倍氏のことに触れておきたい。私は安倍氏と考え方が異なることが多く、記者…

この記事は有料記事です。

残り1063文字(全文3202文字)

佐藤千矢子

論説委員

 1965年生まれ、愛知県出身。87年毎日新聞社入社。長野支局、政治部、大阪社会部、外信部などを経て、2001年から米国ワシントン特派員を務め、イラク戦争、アフガニスタン戦争、04年米大統領選を取材。政治部では首相官邸キャップ、副部長、編集委員などを歴任。13年から論説委員。17年から政治部長。女性の政治部長は全国紙で初めて。大阪本社編集局次長、論説副委員長、編集編成局総務を経て、22年4月から現職。