
岸田文雄政権が憲法改正についてどの程度意欲があるのかは、よく分からない。改憲への関心を感じない。
首相は、早期に改憲の発議に向けた取り組みを進める考えを示した。しかし、本気でやるつもりなら、党内でまとめた条文を参院選の街頭演説で訴え、漠然と「改憲」ではなく、「何々を実現するためにこの条文案を発議する」という言い方をしたはずだ。
憲法改正とだけ言って具体案を示さない態度は、「憲法改正」と聞くだけで反応してくれる「改憲サークル」に向けて「やってる感」を示しているだけだと思う。
自民、公明、日本維新の会、国民民主の4党を「改憲勢力」とメディアは呼ぶが、各党の立場が一致しているのかは不明だ。具体的に改正する条文を共同公約のような形で発表しているなら、それが発議される見通しだと言えるが、単純に「改憲勢力」とくくって議論する意味はあまりないと思う。
ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、外交安全保障についての国民の関心は高まっていると思うが、憲法の問題とは結び付いていない。仮に日本がロシアから侵略された場合の対応については、個別的自衛権や日米安全保障条約の話だ。憲法改正をしなければならない課題ではない。
「首相の解散権の制限」や「憲法裁判所の設置」など、現在の憲法ではできないことを実現するために、憲法改正という手段が必要になることはある。しかし、事項を何ら特定しない漠然とした「憲法改正」という政治課題は存在しない。
とはいえ、首相本人がやりたいと考えていなくても、強く求める人たちに追随して動いていく可能性はある。改憲論議がどこまで進むのか、予測は難しい。
自衛隊明記案はまやかし
自民党は参院選の公約で、憲法9条1項、2項は残したままで自衛隊を明記する案を掲げた。自衛隊に違憲の疑いをかける人を説得したいという趣旨だが、自衛隊の存在自体に憲法を変えないと説得できないほど強い違憲の疑いがあるとは言いがたい。自衛隊への違憲の疑いが本気で心配だというなら、違憲論の識者や政党と対話し、合憲の理由を説明して説得すべきだ。
憲法を改正して違憲論者を説得するつもりなら、違憲論者に相談に乗ってもらい、具体的な条文案を示して「これで自衛隊を合憲にできますか」と確認してから、発議に向けた作業に入る必要がある。自民がそうした努力をしてきたとは言いがたい。
今主張されているような「自衛隊を置いてよい」という条文を置くだけでは、「現状の実力の大きさを考えれば9条2項の『戦力』に該当する」という違憲論はそのまま残る。熟慮の欠けた提案に見える。
集団的自衛権の是非を正面から問おうとしないことも問題だ。
2015年に成立した安保法制で、自衛隊法に集団的自衛権を行使するための規定が加えられた。これを前提に自衛隊を憲法に書き込もうとすると、任務の範囲に、集団的自衛権を明記する必要がある。この案を発議して国民投票を実施すれば、争点は集団的自衛権の是非になる。
多くの政治家は、集団的自衛権の是非を真正面から問うと、国民投票で過半数の賛成を得るのは難しいと感じているのではないか。だから、自民は、自衛隊明記の話をするときに、集団的自衛権という言葉を避けている。18年に自民が発表した各党との議論のたたき台としての条文案でも、集団的自衛権の位置づけが曖昧にされている。
何が争点なのかを政治家が説明しない状況は、国民にとって望ましくない。自民は、「国民投票で問いたいのは集団的自衛権行使容認の是非だ」と明確に説明した方がいい。
そもそもの問題は、安保法制の制定時に、憲法改正論議を避けたことだ。集団的自衛権の行使は違憲とされており、それを合憲にするには憲法改正が必要だ。あの時、改憲発議の是非を議論し、発議が無理なら集団的自衛権の行使容認は諦めるべきだった。
当時の安倍晋三政権は、憲法改正に熱心とされていたが、集団的自衛権のための改憲案を国民投票にかけようとせず、無理な解釈で乗り切ろうとした。結果、違憲の疑いが極めて強く、憲法上の正当性のない法律の規定ができてしまった。
今の状況には、安保法制に賛成した有識者にも責任がある。…
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