
アベノミクスが登場するまでの日本の経済政策で一番問題だったのは、景気が良くなろうとすると日銀がすぐに金融引き締めに動いたことだ。その結果、円高で失業が増え 国民が苦しんだ。
2008年のリーマン・ショック後、諸外国の中央銀行は今までにない形で金融を緩和した。国際金融市場にドルやポンド、ユーロが大量に放出され、品薄になった円が高くなった。これによって日本の産業と国民が苦しんだが、財務省や日本銀行は「円が高すぎる」とは考えなかった。それを解消したのが安倍晋三元首相だ。
第2次安倍政権が始まった12年12月から、コロナ禍が始まる前の20年ごろまでに日本の雇用はおおよそ500万人増えた。1990年代以降の首相でこれほど新たな雇用を創出したのは初めてのことだ。具体的に経済を立て直した。
「専門家任せ」ではなかった
銀行など金融界の人たちは金利が動かないと困る。時には上がらないと、もうからない。また財務省は国家が破産しては大変だと考えて財政均衡を目指す。だから金融も財政も緊縮になる。
インフレ時はそれでいいが、デフレ時には雇用は減り、国内投資も停滞し、生産性も落ちてくる。90年代以降約20年間、日銀は円を高くしようという、引き締め過大の政策を続け、それが日本の景気を悪くした。
かつて加藤紘一元自民党幹事長からも聞いたが、政治家には「金融は難しいから専門家に任せる」と言う人が多い。専門家とは、つまり日銀、財務省にいる人だ。だから新しい考え方をとらない。私のような、金融政策をもう少し大胆に使うべきだという考え方にはなかなか乗ってこない。
これを変えたのが安倍氏だ。安倍氏は真面目に自分で勉強し、考え、世界の識者とも議論して、それまでの政策を転換した。
後半には陰り
第一の矢、金融政策がうまくいったことでアベノミクスの前半、14、15年ごろまでは人手不足になり、企業が真剣に国内の技術開発に投資するようになった。
しかし、その後は、マイナス金利の影響もあり、新しい投資先が世界で不足する長期沈滞状態になり、金融政策がうまく働かなくなった。前半のアベノミクスの成功に陰りがでてきたことは事実だ。「生産性を上げる」とは言ったが、具体的にどう上げるかという成長戦略には不足があった。私は以前、第一の矢の金融政策はAで、第二の矢の財政政策はB、しかし第三の矢の成長戦略はE(ABE)だと言ったことがある。
小泉純一郎首相の時は、構造改革で生産性を上げようとしたが、為替レートが高止まりして、金融も緊縮的だったために、マクロでデフレの圧力があって生産性を上げる意欲が出てこなかった。改革には人手不足などの誘因が必要だ。
アベノミクスでは意欲は作った。しかし、電子化など、技術進歩を政府が先導する対応が、今一歩不足していた。技術進歩は公共財だ。民間に任せておいてはだめだ。政府が場を作る必要がある。韓国、中国、台湾の起業家がやっているように、世界中に埋もれている需要を集約して生産者に結びつけるネットワークができた時に利潤機会ができる。そこが日本はうまくいっていない。
消費税率は引き上げるべきではなかった
…
この記事は有料記事です。
残り1024文字(全文2322文字)