国葬は国民主権に反する 戦前に回帰するのか

杉田敦・法政大学教授
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国葬反対を訴える集会の参加者たち=東京都渋谷区で2022年9月19日、小出洋平撮影
国葬反対を訴える集会の参加者たち=東京都渋谷区で2022年9月19日、小出洋平撮影

 国葬のあり方は国によってさまざまだが、君主制の残像を伴う。戦前の日本の国葬令も、天皇や天皇に尽くした人々を国葬にするという、天皇制と結びついた形で成立した。戦後に国葬令が廃止されたのは、これが天皇主権を前提とした制度だったからだ。国民が主権者となり、政治体制そのものとの間に矛盾が生じるため、維持できなくなった。

 現在の日本の代表民主制は、一般国民より上位の存在としての権力者を持つものではなく、あくまで行政権を担う代理人、いわば国民のための「管理人」として首相を選んでいる。仮に首相にどんな功績があっても、一般国民を超越した上位の存在を悼むかのような形式で国葬を実施するのは、代表民主制という政治体制についての誤解を国民に広める危険がある。それが今回の論争の一番の問題点だ。安倍晋三元首相の葬儀は、国葬とは別のやり方で実施すべきだろう。

 吉田茂元首相の国葬の時も、法的な措置ができなかったり、相当な反対があったりした。国民主権を前提にした国葬を実施するのは現行憲法では難しいためだ。

 諸外国の対応はさまざまだ。米国の大統領は、政治権力も持つが、国民統合の象徴のような性格もあり、そういう人を国葬にするのは考え方としてありうる。フランスではシャンソン歌手や芸術家など、国の文化の発展に貢献した人を国葬にするケースもある。日本の場合、かつての天皇主権のもとでの国葬との連続性を意識せざるを得ないのがポイントだ。

なぜ反対論が強まったか

 なぜ代表制が必要性なのか。代表制は単純に世論を反映するだけでなく、演劇的な働きがある。人々が普段、意識していない問題について、何が問題なのかが示される。そして、政治家などのそれぞれの登場人物の意見を聞きながら、人々の世論は形成される。

 国葬をめぐって反対論が次第に強まっている。当初は十分な情報がなく、論点が分からなかったのが、演劇的な働きが作用し、世論が形成されていったと言えるかもしれない。

根付かぬ憲法の立法権中心主義

 安倍氏の国葬は、死去してから2カ月以上たって実施される。時間があったのになぜ慎重に国会で審議をしなかったのか、多くの人が疑問を抱いている。

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杉田敦

法政大学教授

 1959年生まれ。東京大法学部卒。新潟大助教授などを経て96年から現職。専門は政治理論。著書に「境界線の政治学」「権力論」「政治的思考」など。