
ケニア西部ホマベイ郡は、アフリカ最大の湖、ビクトリア湖のそばに広がる緑豊かな農村地帯だ。10月上旬、郡都ホマベイを出発して舗装されていない悪路を四輪駆動車で進み、さらに車が通れない細い道を歩くこと15分。5メートル四方ほどの土壁の家から出てきたプリシラ・アルオチさん(68)は、一歩一歩足を引きずる度に苦しい表情を見せた。
椅子に腰掛けたアルオチさんの足の裏を見せてもらうと、あまりのひどさに寒気が走った。黒い斑点が無数にできて炎症を起こし、足は小柄な女性のものとは思えないほどに膨れ上がっている。「とても痛いです。悪魔の仕業かと思ったこともあります」
ノミの一種スナノミが人の足や手に寄生し、血を吸って繁殖する「スナノミ症」だ。
顧みられない熱帯病
「顧みられない熱帯病」(NTDs)という言葉を聞いたことがあるだろうか。トラコーマ、ブルーリ潰瘍、リンパ系フィラリア症(象皮病)、オンコセルカ症(河盲症)、住血吸虫症、アフリカトリパノソーマ、リーシュマニア症、デング熱、狂犬病、ハンセン病……。アフリカをはじめとする途上国で主に流行し、世界保健機関(WHO)がリスト化しているおよそ20群の病気で、スナノミ症もその一つだ。
「熱帯病」は日本をはじめとする先進国では現在、かかる人がほとんどいないため、医学界や製薬業界の関心が低い。毎日新聞の記事データベースを検索しても、「顧みられない熱帯病」に言及している記事は過去11本だけで、テーマとして取り上げている記事は数本だった。
私が「熱帯病」に関心を持ったのは、新型コロナウイルス禍の取材がきっかけだ。世界のほとんどの地域では7割前後の人がコロナワクチンの接種を終えているのに、アフリカだけが3割に満たず頭打ちになっている。
背景を取材すると、アフリカは元々衛生状態が悪く他の感染症の脅威が日常的にあるため、コロナへの関心が相対的に低いのに気付いた。「熱帯病」がなぜ、いかに顧みられていないのか、この目で確かめたくなった。
「以前、HIV(エイズウイルス)に関する研究をしていた時に比べると、研究者や文献の数がとても少なく分からないことだらけです」と話すのは、長崎大学熱帯医学研究所の研究員、鈴木佳奈さん(34)だ。同大は国際協力機構(JICA)の支援を受け、2021年から5年計画で、ホマベイを拠点にスナノミ症の研究や住民への啓発活動に取り組む。今回、現場を一緒に案内してくれた。
スナノミは体長およそ1ミリで、文字通り砂地を好む。メスのみがヒトや動物の皮膚に寄生して、繁殖する。鈴木さんらの研究チームが持参した顕微鏡でアルオチさんの患部を見せてもらうと、皮膚の中から尻の先だけを出してフリフリと動いて…
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