辺野古(沖縄県名護市)の米軍キャンプ・シュワブのゲート前に掲げられている座り込み日数は、2014年7月7日を起点にしている。辺野古新基地建設の関連工事でゲートに工事車両が出入りするようになって始まった。
最初は「座り込み」ではなく、スタンディングだった。私も初日から参加したが20人ぐらいだった。真夏で暑くて、麦わら帽子をかぶって立った。
それまでの行動とは、県民の反応が全く違っていた。差し入れが次々に来て、コロナ禍以前は200人を超える人たちによる抗議行動が連日続いた。
月に1度の統一行動には1000人近く来るようになった。大きな会社の社長がサングラスをかけて顔がばれないように後ろのほうで参加していたのを見たこともある。仲間と「彼が参加している」と話をしながら涙が出てきた。普通の闘いではなくなった。
軽佻浮薄
座り込みにあるのは、県民が愚弄(ぐろう)されたことへの怒りだ。
政府は「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設が原点」と言うが違う。原点は1995年の少女暴行事件だ。県民の怒りに対して、「基地の負担を軽減する」と言って持ち出されたのが普天間飛行場の返還だ。
人権を蹂躙(じゅうりん)された上に新しい基地を作らせなければ普天間飛行場は返さないというのはあまりにも理不尽だ。少女暴行事件と引き換えに新しい基地を沖縄に作らせたら、被害に遭った少女になんと言えばいいのか。
そういう闘いに「誰もいなかった」とケチをつけた方がいる。軽はずみな、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な方だ。
座り込みの日数を掲げた看板を作った人は母親が米兵に殴られて殺さ…
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