教皇の偏見と「戦争の熱気」

佐藤優・作家・元外務省主任分析官
佐藤優氏=手塚耕一郎撮影
佐藤優氏=手塚耕一郎撮影

 ウクライナ戦争に関連してローマカトリック教会のフランシスコ教皇の発言が深刻な問題を引き起こしている。

 <キリスト教カトリック教会のトップであるフランシスコ・ローマ教皇がロシアのウクライナ侵攻を巡り、ロシア側でもキリスト教徒ではない少数民族のチェチェン人とブリヤート人の部隊が「最も残虐な」戦闘を実施していると述べたことが明らかになり、物議を醸している。

 教皇は11月22日にバチカンで米国のカトリック系雑誌「アメリカ」のインタビューに応じた。そのやりとりが28日に公表され、米CNNテレビや英BBCなども発言内容を伝えた。

 同誌(電子版)によると、教皇は「(露側の)部隊の残虐性については多くの情報がある」とした上で、「一般的に、最も残虐なのはおそらくロシアの伝統に沿っていないロシア人、例えばチェチェン人やブリヤート人の部隊などだ」と述べた。

 ロシア人の多くはロシア正教を信仰しているが、ロシア南部に多く住むチェチェン人はイスラム教スンニ派、東シベリアに住むモンゴル系のブリヤート人は仏教などを信仰している。教皇はロシア人への直接的な批判を避ける一方、キリスト教徒以外の少数民族を非難した形だ。>(11月30日「毎日新聞」電子版)

 この問題が深刻なのは、懇談の場で出た不規則発言ではなく、イエズス会系の雑誌(電子版)に掲載されたからだ。ローマ教皇庁はしっかりした官僚組織をもっている。フランシスコ教皇の発言は、雑誌に掲載される前に教皇庁が組織として入念にチェックする。そのチェックの過程で、教皇の発言が差別的であることにカトリック教会という組織が気付かなかったことになる。

 チェチェン人やブリヤート人という民族的属性と残虐性を結びつけるのは、明らかな差別だ。差別が構造化している場合、当事者は差別的発言をしているという自覚を持たないのが通例だ。そもそも「カトリック」とは「普遍性」を意味するので、カトリック教会は民族や国家を超えた普遍性を志向する。

 ウクライナ戦争においてカトリック教会も半ば当事者だ。ウクライナ西部のガリツィア地方には、見た目は正教に似ているが組織的、教義的にはカトリックに属するユニエイト教会(帰一教会、東方典礼カトリック教会の一つ)がある。この教会はウクライナ・ナショナリズムの母体となっている。

 フランシスコ教皇はこれまでも言葉を慎重に選びながらウクライナ支持の姿勢を示してきた。チェチェン人はコーカサス系でスンニ派のイスラム教を信じる人が多く、ブリヤート人はモンゴル系でチベット仏教を信じる人が多い。教皇の発言の背景には、民族的かつ宗教的な二重の偏見がある。フランシスコ教皇は、この発言を直ちに撤回し、謝罪するべきだ。

 ロシアはフランシスコ教皇の発言に激しく反発している。

 <国営ロシア通信(RIA)は(11月)29日、ロシアの駐バチカン大使がこれに対し抗議したと報じた。同大使はRIAに「このような侮辱に対する憤りを示し、多民族で構成されたロシア人の結束と一体感を揺るがすものはないと指摘した」と述べた。/(中略)

 ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は28日のソーシャルメディアへの投稿で、教皇のコメントを「ロシア嫌いどころではなく」「曲解」だと批判。チェチェン紛争を引き合いに出し、「西側諸国は少し前までスラブ人がチェチェン人を拷問していると考えていたが、今はチェチェン人がスラブ人を拷問していると考えている」と主張した。>(12月1日、AFP=時事)

 ウクライナ戦争に関してカトリック教会と同程度に深刻な問題を抱えているのがロシア正教会だ。

 9月25日の説教でロシア正教会の最高指導者であるキリル総主教は…

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作家・元外務省主任分析官

 1960年生まれ。同志社大大学院博士前期課程修了。神学修士。外務省入省後、モスクワの日本大使館に勤務。著書に「自壊する帝国」「私のマルクス」など。毎日新聞出版より「佐藤優の裏読み! 国際関係論」を刊行。