
政府は昨年末に決定した新しい国家安全保障戦略で、武器を含めた装備品の輸出などを緩和するために防衛装備移転三原則の運用指針見直しを検討する方針を明記した。実際に見直されることになれば、日本が戦後積み重ねてきた軍縮外交や日本が主導して国際社会で確立した「人間の安全保障」の成果を損なうことになりかねない。
三原則は「規範」
三原則の前身である「武器輸出三原則」は1967年に当時の佐藤栄作首相の国会答弁から始まり、76年に三木武夫内閣による政府統一見解が示されて、国会の審議も積み重ねられながら形作られてきた。
当時はベトナム戦争反対の機運があり、「もう戦争で人が死ぬのは勘弁してほしい」「日本で作られた兵器で人が死ぬのはおかしい」という国民世論の強い意識があった。その後、米国との関係で個別の例外が加えられることもあったが、歴代内閣は基本的に三原則を踏襲してきた。
実質的な見直しが初めて行われたのは2011年だ。野田佳彦内閣が三原則の例外に関する「基準」を設け、該当するものは包括的に例外にした。この見直しは国会審議や国民的な議論もないまま、閣議決定を経た官房長官談話で発表した。
そして第2次安倍晋三政権下の14年に、最先端兵器の国際開発に日本も参加するため、現在の防衛装備移転三原則へ見直された。これも国会審議もないまま閣議決定のみによる見直しだった。
そもそも三原則は憲法上の原則でも法律でもない。あくまで外国為替及び外国貿易法(外為法)の運用指針だ。しかし武器輸出を制限した三原則は、現行憲法の平和主義の実現を目指したものであり、単なる政策を超えた「規範」となっていたことは間違いない。その変更・見直しには国会審議と国民的な議論が必要であり、それがないことは国会の軽視となる。
国会の軽視
国家安保戦略を含む今回の安全保障関連3文書の改定は昨年の臨時国会閉会後に政府・与党で検討し決定された。岸田文雄首相は年明けからの欧米加5カ国歴訪で国会よりも先に米国を含む主要7カ国(G7)中5カ国の首脳に3文書の説明をした。当初から国会への説明は後回しする姿勢だったことは明らかだ。
こうした国会軽視は国民の軽視であり、私たちは強い危機感を持たなければならない。…
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