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不屈の取材積み重ね「社会派小説」の金字塔 山崎豊子が描いた壮大な人間ドラマ

 「白い巨塔」や「華麗なる一族」などの社会派小説で知られ、映画やドラマとして映像化された作品も大ヒットした作家・山崎豊子(1924〜2013年)。作品の多くは実在の人物や団体をモデルにし、医療や戦争などの難しいテーマに真正面から向き合いながら、数年掛けて精力的な取材を重ねており、「限りなくノンフィクションに近い人間ドラマ」が人気の秘密だ。死去から3年となる今年も、「沈まぬ太陽」がWOWOWで初めて連続テレビドラマ化され放送中で、山崎の存在感を示し続けている。【丸山進】

    山崎豊子の最高傑作「沈まぬ太陽」の構想はアフリカの大地で生まれた

    ■上司の井上靖に文章の厳しさを学び、作家活動へ

    「沈まぬ太陽」の刊行記念サイン会で笑顔を見せる山崎豊子さん=1999年撮影

     山崎は1924年、大阪・船場の昆布商に生まれ、44年、京都女子専門学校(現京都女子大)国文科卒業後、毎日新聞に入社した。大阪本社学芸部の副部長で、すでに小説家だった井上靖に文章の厳しさを学び、自らも休日を利用して小説を書き始めた。執筆に10年を費やし、生家をモデルにした「暖簾(のれん)」を57年に刊行。さらに翌年、「中央公論」に連載した「花のれん」で直木賞を受賞し、これを機に毎日新聞を退社し、作家活動に専念。「ぼんち」や「女系家族」「花紋」といった大阪を舞台にした女性の生涯を描いた。61年に学芸部の同僚だった美術記者の杉本亀久雄氏と結婚した。精力的な取材活動の半面、生まれつき気管支が弱く、入退院を繰り返した。

     その一方で、仕事に関しては自分にも周囲にも厳しかった。50年以上も山崎の秘書を務めた野上孝子氏の著書「山崎豊子先生の素顔」(文芸春秋)によると、電話の応対や日々のあいさつまで、ことあるごとに雷を落とされた。原稿の感想を聞かれ、どこが具体的に面白く、どこを改善すべきかを求められ、具体的な意見が出せないと「意見なきものは去れ」と手厳しかったという。

    ■主治医の左遷がきっかけに医療過誤訴訟を描く

    サンデー毎日で1963年に始まった連載小説「白い巨塔」は大学病院の暗部を描いた

     「社会派作家」としてのスタートを切ったのは、大学病院の腐敗を鋭く描いた「白い巨塔」。自身の主治医だった大阪大の助教授が「次期教授」と嘱望されながら、学内の嫉妬が元で九州に左遷されたことがきっかけだった。連載された「サンデー毎日」の編集者が医学博士の肩書きを持ち、学会や製薬会社も巻き込んで現金も飛び交う教授選の裏事情に通じていたことが構想の大きな助けになった。大学病院医師へ取材しただけでなく、学会や手術も見学し、医療過誤訴訟を描くために弁護士の元にも足を運んだ。

     作品は、いったんは患者側敗訴のまま終わり、続編を書く予定はなかった。しかし、連載終了後に読者から落胆の声が予想以上に広がり、控訴審を続編として執筆することになった。そのため、「逆転勝訴」の筋書きを生み出すのに苦労したが、医学界に「白い巨塔」のファンが多く、医師たちの知恵を結集して現実的な逆転物語をまとめ上げた。

     「白い巨塔」は田宮二郎主演で映画化され、4回にわたってテレビドラマ化もされた。78年6月~翌年1月のフジテレビのドラマでは、撮影が終わり、ドラマ放送があと2話となった年末、主演の田宮が猟銃自殺する衝撃的な事件も起きた。

    ■夫人と同格の席に座る愛人の姿をヒントに親族間の愛憎劇

     「華麗なる一族」は、山崎氏が毎年年末から正月三が日までを過ごし、今年の「伊勢志摩サミット」の舞台にもなった志摩観光ホテル(三重県)で目にした華やかな企業オーナー一族が出発点。夫人と同格の席に座る愛人の姿が目に付き、愛人を別宅に囲うよりも背徳感を強く覚え、お堅いイメージの都市銀行の裏に隠された親族間の愛憎劇のヒントになった。

     山崎は、取引のあった都市銀行の頭取から取材協力を取り付け、行員とともに金融再編も織り込んだ物語を練り上げた。阪神銀行が上位の銀行を呑み込んで合併する山崎の構想に対し、合併先の大同銀行が歴代頭取を日銀から迎え、経営改革も進んでいないという設定は行員からのアイデアだった。

     シベリア抑留体験を持つ商社マンが主人公の「不毛地帯」では、物語の舞台となるロシアやサウジアラビアなどに加え、軍用機商戦を描くために米国にも取材旅行を敢行した。連載終了後の78年2月には、日米間の戦闘機取引を巡って日本政府高官が商社経由で不正資金を受け取った「ダグラス・グラマン事件」が発覚し、現実を先取りする山崎の眼力の高さが証明された。

    ■胡耀邦総書記との初対面でいきなりクレーム

     山崎は78年秋に米ハワイ州立大の客員教授、84年には中国・北京の中国社会科学院の研究員として赴任した。しかし文筆を置くことはなく、講義や研究の合間を縫って取材を重ね、日系アメリカ人を主人公とした「二つの祖国」と、中国残留孤児をテーマとした「大地の子」を生み出した。

    山崎豊子さんの自宅に残る、膨大な取材の足跡=堺市で2014年8月25日、鶴谷真撮影

     特筆すべきなのは、「大地の子」取材で胡耀邦総書記(当時)と面会し、初対面でいきなり総書記に「中国の官僚主義は根深く、取材の壁が高い」と批判したことだ。野上氏の著書によると、総書記はその姿に打たれた様子で「中国を美しく書かなくとも、真実なら欠点も書いてよい」と取材許可を出した。当時は外国人に開放されていない場所が多かったが、300人以上の孤児から取材できた。総書記との面会は、外国人としては異例の3度に及び、信頼度の高さをうかがわせる。

     「大地の子」はNHKで戦後50年の日中共同制作ドラマとして1995年11~12月に放送された。主演の上川隆也は当時新人俳優だったが、この作品でブレークを果たした。

    ■ケニアから生まれた「沈まぬ太陽」、主人公と出会い

     「大地の子」執筆に精魂を使い果たし、疲れをいやすために旅立ったのは東アフリカのケニア。そこで旅行社の職員とともに出迎えたのが、「沈まぬ太陽」の主人公・恩地元のモデルとなった航空会社のビジネスマンだった。

    書斎で資料を見ながら小説の構想を練る山崎豊子さん=堺市の山崎さん宅でで2012年4月20日、竹内紀臣撮影

     労働組合の委員長として厳しい要求を突きつけて会社ににらまれ、パキスタン、イラン、ケニアと10年にわたって海外支店を転々とさせられた経歴を持つ。労務部次長が支店に巡回視察に来訪して「わび状を書けば許してやる」と要求したことや、会社側が労使協調路線の「第2組合」を結成させて社員の分断を招いたことなども聞いた。それらが組織のひずみを生み、航空機事故につながったと知り、「アフリカ編」「御巣鷹山編」「会長室編」の3部構成となる壮大な構想が固まった。

     御巣鷹山の慰霊登山を手始めに、数多くの遺族の話を聞いたほか、検視に立ち会った医師らからも話を聞いた。米国で航空機メーカーへの取材にも成功した。その一方で、パイロットや客室乗務員、整備職などの組合員らにも取材を重ねた。

    ■全20話で初のドラマ化、壮絶の大事故を軸に

    ベストセラーとなった「沈まぬ太陽」

     渡辺謙が主演した映画は、3時間22分の長時間作品となった。初めてのドラマ化作品は現在、WOWOWで開局25周年記念番組として、地上波連続ドラマの約2倍の全20話で今年5月から放送されている。

     恩地を演じるのは「大地の子」でも主演した上川隆也。左遷されたことを責める妻(夏川結衣)と、組合員仲間の三井(檀れい)や沢泉(小泉孝太郎)の板挟みに苦悩しながらも意志を貫く姿を演じる。一方、同期で労組副委員長だった行天(渡部篤郎)は経営者側に寝返り、恩地と対照的に同期の出世頭となる。國村隼や板尾創路も、社員よりも出世を気にする経営幹部役を熱演し、恩地と行天の対比を際立たせる。7月10日から始まる第2部では、墜落事故が起き、会社再生を目指す恩地の前に常務となった行天が立ちはだかり、2人の対立が決定的になる。

     後年、山崎豊子は「小説を書く限り、現代性、国際性をもったものでなくては、というのが、私の持論です」(断筆となった「約束の海」単行本)と書いた。自身の作家としての生きざまを凝縮した言葉だ。WOWOWで放送中の「沈まぬ太陽」は第2部のスタートを前に7月3日午後10時から第1部の総集編を無料放送。また9日の午後1時から1〜8話を一挙放送する。映像化された「沈まぬ太陽」から、山崎豊子が貫いた、その作家魂をぜひ感じてほしい。


      <参考文献>野上孝子著「山崎豊子先生の素顔」(文芸春秋)

      

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