江戸川乱歩賞を受賞し3年半で失踪終了

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 まるで「酒とバラの日々」ならぬ、「デニーズとウェンディーズの日々」だったわけですね。

 「色気のない話ですねえ」

 何のあてもない放浪生活。でも作家になりたいという気はあったんですね。

 「失踪してから2、3日後に決めました。もうサラリーマンには戻れない、という気持ちから、何か資格を取ろうかと思ったとき、チラッと税理士か弁護士はどうかと。でもそれは相当大変だなあと。そんなとき、作家なら紙と鉛筆さえあればできる、一番簡単じゃないかと。警察に捜索願を出していた親へ送った手紙の中で、『3年たったら戻る』と書きまして、その間に江戸川乱歩賞を取ろうという目標を立てました。作家になるというより、乱歩賞を取るという気持ちでした」

 

 江戸川乱歩賞は一般の人の応募作品から選ばれるのですが、公募の賞は他にもあるのに、なぜ乱歩賞に焦点を合わせたのですか。

 「一つは、小学校6年生の時からミステリー小説が好きで、主に海外作品を多く読んでいたことがあります。もう一つは、母親のいとこの女性の息子、つまりはとこにあたる人が、僕が高校生のときに江戸川乱歩賞を受賞したんですね。中津文彦さんという方(82年に『黄金流砂』で第28回江戸川乱歩賞を受賞)。恐れ多くて会ったこともすれ違ったこともありませんでしたが、僕の頭の中に乱歩賞はすごい賞なんだという思いがあったんでしょうね」

 30歳で失踪するまでに、一度でも小説を書いたことはあるんですか。

 「ありません。ですから、コクヨの400字詰め原稿用紙を買って、手書きです、シャープペンシルで。昼や夜のファミレスで書いていました。店には結構、女子高生らがいて、うるさいんですが、そういう環境のほうが、いろいろプロットが浮かんできて、逆に静かな図書館では眠くなったりしてダメでした。ちょうどその年でしたか、藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』が乱歩賞を受賞していたので、ハードボイルド系の小説を書こうとしていました」

 結局、98年に書いて応募した「八月のマルクス」で乱歩賞を受賞。お笑い芸人が苦境に陥った事件の真相が明らかになっていくというミステリー小説でした。

 「失踪終了の時期が予定より半年延びてしまいました。賞に応募はしたものの、当時はまだ住所不定だったので、連絡先を元の職場の同僚のところに指定していたら(それが今のかみさんですけど)、乱歩賞事務局の講談社から電話連絡があったそうです。手紙で乱歩賞のことは伝えていたんですが、彼女、そのことを忘れていたらしく、電話が来た時もしどろもどろになって『その人、今、いません』と答えたものだから、『なんなんだ、この男は。間違いなくヒモですね』と不当な疑いをかけられました」

 実際は?

 「いえいえ、彼女からはお金は一切もらっていませんから、ヒモではありません。でも、今は頭が上がりません」

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