暗黒の3年間

2/3ページ
 

 卒業後は、実際にはどんな生活を?

 「食わねばならなかったので、アルバイトを転々としていました。店頭でインターネットや有線音楽放送の販売促進をするアルバイトが主でした。ひどい不良アルバイターだったと思いますよ。担当エリアに着いたら、まずファミレスに行って、そこで本を読んでいましたから。まあでも、僕は根が臆病というか小心なので、最低限の仕事だけはしっかりやっていました。でも、卒業後の3年間のことは今もあまり覚えていなくて、暗黒の3年間でしたね」

 酒や女で身を持ち崩す人の例もありますよね。

 「幸い、酒はそんなに飲めずに、幸か不幸かわかりませんが、女性にもそんなに縁がなかったので、壊滅的な生活パターンまでにはいきませんでした。当初は、青森県にいる父親も『ちゃんと仕事をしろよ』と言ってきましたが、3、4年たつうちにあきらめたようです。八戸の実家にはほとんど帰らずに、親には迷惑をかけっぱなしでした」

 それでは、今回の江戸川乱歩賞受賞ではご両親はさぞやお喜びだったでしょう?

 「受賞当日に電話で伝えたんですが、母は『その賞は何人がもらえるの』と聞くから、『僕一人だ』と答えると、『そんなわけがない。また、そんなうそをついて』と、まるで新手のオレオレ詐欺ではないかと疑って。一回もうそはついたことがないのに、根のない生活をしてきたので、信用がないんだなあと。父親は『よかった。でもまあ、調子に乗るなよ』と。うれしかったです。(賞金1000万円の一部を)実家にも納めさせていただき、これまでの不義理が少しお返しできたかな」

 暗黒の3年間の、どこが小説を書くきっかけになったのですか。

 「3年目の夏でしたか、アルバイト先の持ち場を離れて焼き肉を食べに行っていたところを、その会社の人に見つかって、クビになってしまいました。その後1カ月、バイトの仕事もなく、このままでは食っていけない、何かしないと死んでしまうかもしれないと思うくらい生活が不安でした。そんな時、暇つぶしにとりあえず小説でも書いてみようかと書き始めました。映画は一人ではできませんが、小説は一人で書ける。映画で実現できなかったことを小説ならできると、書いているうちにめちゃくちゃ楽しくなってきた。初めて書いた作品をメフィスト賞に応募したら、1行コメントで『惜しい』と。ああ、プロの編集者がこんなコメントを書いてくれた。もしかしたら、いけるんじゃないかと、それからずっと小説を書いては応募するようになりました」

 江戸川乱歩賞は4回連続応募して、4回目で栄冠をつかんだわけですね。

 「はい。ただ、今回の受賞には厳しい選評の先生がいる一方、温かく励ましてくれる先生もいて、評価がきれいに分かれる結果になりました。正直なところ、やったぜと喜ぶ気持ちはまったくありませんでしたが、結構両方うれしかったです」

 受賞と受賞作の出版を機に、ペンネームを変えられましたね。それまでの「檎克比朗」から、読みは同じの「ご・かつひろ」にして今の「呉勝浩」に。この辺の事情は?

 「僕は八戸生まれの八戸育ちで、青森名産の林檎りんごの檎の字を使いたかったんですね。このペンネームで応募してから、割合とんとん拍子でいいところまでいったので、僕にとってはラッキーネームでもありました。でも、これは読みづらい、書きづらい、覚えにくいというふうに言われて、出版を機に、では本名で勝負しましょうかと」

 ということは・・・・・・。

 「僕は在日韓国人です。ただ、よくいう何世かというのはよくわからなくて、正直、あまり関心もありません。僕自身、ハングルもわからないし、しゃべれません。ただ、日本人社会の中で、アウトサイダーの感覚は今でも残ってはいます」

  • JT
  • 日本推理作家協会