ひきょうなまねはしない

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 もう一つ、お尋ねします。北方さんというと、多くの若者たちが、それも男子たちが今も忘れられないのが、「ソープに行け!」というセリフですねえ。雑誌「Hot-Dog PRESS」で連載した人生相談「試みの地平線」の回答者を長年お務めになった。調べたら1986年から2002年まで16年間も続いていたんですねえ。

 「街を歩いていた時、いきなり男にパッと腕をつかまれて『ソープの人ですよね』と言われたことがある。まあ、意味は分かりますけどね。レストランに行った時も『お世話になりました』と店の人から言われたり。あの雑誌は当時の16~19歳くらいの男の子向けだったから、あの欄を読んでいた彼らも、今はもう50歳前後になっているんだろうね。ソープへ行け!というのは4回くらいしか言っていないはずなんだけど、今もこの言葉だけが残っているんだね。好きな女の子に打ち明けられないと、もんもんとする童貞男子の相談に、そう答えただけなんだけど」

 純文学、ハードボイルド小説、歴史小説と長い作家生活の間で熟成したポリシーというものはありますか。

 「ひきょうなまねはしない。友だちだったら裏切らない。それだけ心して生きいこうと、自分に言い聞かせています」

 シンプルで明快なポリシーですが、なかなか重くて深い内容ですね。

 「とはいっても、人間ですから、どこで人を傷つけているかわからない。もともと僕は暴走系ですから、調子に乗りすぎて人を傷つけているのに、自分で気が付いていないだけ、なのかもしれない。それが少し怖い。それに、この年になると、誰も何も言ってくれないんだよ。例えば、僕は2000年から直木賞の選考委員を務めているんだけど、最初は末席でしたよ。そのころは先輩作家たち、田辺(聖子)さん、平岩(弓枝)さん、井上(ひさし)さん、渡辺(淳一)さん、津本(陽)さん、五木(寛之)さんたちがいて、叱られたり皮肉を言われたりしましたよ。でも、今は僕が最上席にいるんだよ。最近、作家仲間は誰も何も言ってくれなくなった。長老とか大家にはなりたくないなあ。小説家としてはガキのままの感性でいたいね」

 古希を前にして、長い作家人生、今のご心境は?

 「何のために書くのかと問われたら、書くことは生きること、生きることは書くことと答える。まあ、そういって開き直っているだけかもしれないね」

〈次回は2017年9月4日(月)書評家の西上心太氏掲載予定〉

 

北方 謙三(きたかた けんぞう)
1947年佐賀県生まれ。中央大学在学中の1970年、「明るい街へ」が雑誌「新潮」に掲載されデビュー。83年「眠りなき夜」で第1回日本冒険小説協会大賞、第4回吉川英治文学新人賞をダブル受賞。84年は「檻」で日本冒険小説協会大賞、「過去 リメンバー」で第11回角川小説賞を受賞。85年は「明日なき街角」で第5回日本文芸大賞、「渇きの街」で日本推理作家協会賞を受賞。91年「破軍の星」で柴田錬三郎賞、2004年「楊家将」で第38回吉川英治文学賞、06年「水滸伝」で司馬遼太郎賞、07年「独り群せず」で舟橋聖一文学賞、09年に第13回日本ミステリー文学大賞、11年「楊令伝」(全15巻完結)で毎日出版文化賞特別賞、16年に第64回菊池寛賞、今年17年には『大水滸伝』シリーズで第6回歴史時代作家クラブ特別功労賞など数々の文学賞を受賞。13年には紫綬褒章を受章している。

取材を終えて  ジャーナリスト 網谷隆司郎

 楽しい2時間のインタビューだった。でも、その後が困った。なかなか原稿が書きだせなかったのだ。
 北方さんが執筆で定宿にしているホテルの一室でお会いした。カンカン照りの午後。室内の冷房でホッと一息ついたが、帰る頃にはほんわかとした温かさに包まれていた。
 人間味。いろいろ表現はあるだろうが、北方さんから発するオーラは、この一語に尽きると思う。
 世の中に生きている以上、これを言ったらあの人に悪い、あれを口にしたら自分に反撃が来る……などなど、私たちの多くは他人を気にしながら生きている。それこそ、斟酌(しんしゃく)、気遣い、配慮、思いやりといったコバンザメびっしりの体になっている。自由人という言葉からほど遠い存在になっていないか。
 自分が可愛いからだ。過重なオモンパカリが高じると、言いたいことが言えなくなってくる。腹の底から笑えなくなってもくる。そんな人の話が面白いはずはない。
 北方さんの話は面白かった。屈託なく開けっぴろげに語る内容は面白すぎて、何を書いたらいいか、絞るのに困った。あまりに人間的欲望を赤裸々に語るくだりでは、新聞表現からはみ出る事柄もあって、それも遅筆につながった。
 そんな人間味がどういう人生航路の中で熟成したのか。それは評論家や伝記作家の仕事だが、大学生時代から「人生いかに生きるべきか」を純文学作品に結実させようともがき、なかなか芽の出なかった十数年の雌伏の時間があったから、とは言えるだろう。人間を真っすぐに見る目が育ち、自分でもとらえきれない複雑怪奇な生き物という人間観が焼き付いたのだろう。
 他人がどう言おうと、俺は俺。世の中の評判や評価に踊らされるより、自分自身がやりたいことをやって死んだ方がいい人生さ。まさにハードボイルド人間観だ。
 それに加えて、1960年代後半に全国で火を噴いた学園闘争の日々に身を置き、自らもデモ行進に加わった青春時代の熾(おき)火(び)か、「今の世の中、役人も政治家も腐ってる。何とか正さないと」という“世直しの志”が消えていない。
 中国・宋という国が内部から崩壊しそうな時に立ち上がった梁山泊の面々にシンパシーを感じて、「水滸伝」にひき付けられ執筆に至ったのは、そんな内面のうずきからか。北方謙三版「水滸伝」の登場人物は「みんな、あるときの自分である」と証言しているのがその証拠でもある。
 キーワードは志である。「少年よ、大志を抱け」の言葉を発したクラーク博士のいた大学を卒業した私、その熱き思いで書かれた「北方ワールド」に少しでも近づこうと、「大水滸伝」51巻を読破してから原稿執筆に入ろうと意欲を燃やした。
 しかし、17年かかって51巻に及ぶ長編書き上げたを数十日間で完読するのは無理だった。半分の峠までも上りつめるに至らぬうちに締め切りが来た。原稿が遅れた最大の理由はこれだった。
 まったく小志、いや笑止千万! 北方さんの高笑いが頭のてっぺんから錐(きり)のように突き刺さってきた。
熱帯夜の悪夢だったか。

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