「ストライクを見逃さない」

初めての仕事は西村京太郎さんの作品でした

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 推理小説を読む楽しみは、奇抜なトリックや意外な展開に出合ったときの驚きとカタルシス。文庫本を読了して余韻に浸っているとき、最後のぺージに「解説」なる文章がある。本作の粗筋やミステリーのさえについての説明と、作家の履歴や作品の系譜といった内容が多い。筆者によって内容はさまざまで、これも一つの作品と言える。30代から文庫解説を数多く書いてきた書評家、西上心太さん(60)は「その小説のいいところを引き出して、熱量を感じさせる文章を心掛けている」と熱く語った。

 ミステリー小説との出合いはいつごろからですか。

 「もともと本が好きな子どもで、小さい頃から絵本を読んでくれと母親にせがんでいたそうです。5歳で入院していたとき、隣の部屋にいた18歳か19歳のお兄ちゃんが月刊漫画誌をたくさん買い込んでいたので、それを借りて読んでいるうちに、すっかり漫画好きになりました。あまり児童文学の名作を知らないで育ち、子どもの頃に漫画と共に読んだのは少年向けにリライトされた『ルパン』もの。それで推理小説が好きになり、小学5年生になって初めて大人版、延原謙訳の新潮文庫版『シャーロック・ホームズ』シリーズを読むようになって、それからはミステリー小説一直線。中学生のときは創元推理文庫でエラリー・クイーンだのバン・ダインだのクリスティーだの翻訳推理小説を読みまくり、その後も春陽堂書店から出ていた江戸川乱歩文庫を読むなどして、そのまま今につながっていますね」

 大学は早稲田に進み、多くの作家、評論家、翻訳家、編集者を出している有名な「ワセダミステリクラブ」に入っていますね。

 「僕は生まれも育ちも東京の荒川区南千住、下町です。小学校は地元でしたが、中・高と新宿区西早稲田にある早稲田中・高等学校に通いました。すぐ近くが早稲田大学なので、高校1年のときに学校の周りを歩いていたら、ワセダミステリクラブのたまり場になっている喫茶店モンシェリの前に、ベニヤ板の看板があって、『新入生歓迎』とあった。それを見た瞬間、あ、早稲田大学に入って、このクラブに入ろう!と決めたんです。当時はおそらく学年からいうと、僕より5、6年上のはずの折原一さんや北村薫さんがいたんじゃないかと思うんですけど」

 そして、無事に「ワセダミステリクラブ」に入会して……。

 「先輩たちの影響で、ミステリーだけでなくSFを読んだり、池波正太郎や司馬遼太郎といった本も読むようになりました。でも、大学時代はマージャンと酒に明け暮れて、空いた時間に本を読む、といった感じでした」

 読むだけでなく、文章を書く方はいかがでしたか。

 「中学・高校時代からノートに感想を書いていましたね。今でもどこかにあるはずですが、当時、テレビのゴールデン時間帯でほぼ毎日、どこかの局で映画を放送していて、見た映画の感想を書きました。まあ面白かったとか詰まらなかったという程度ですが、書いたものがたまってボリュームが膨れるとうれしいじゃないですか。大学のクラブでは機関誌に評論めいた文章を数編書いただけ。たまり場に置いてあるクラブノートには読んだ本のちょっとした感想は書いていたかもしれません。創作しようという気持ちは、はなからありませんでした。」

 人生を模索していた時期ですね。

 「大学を5年で卒業してから2年くらい勤めた後は、家の仕事に就いていました。うちは質屋で、オヤジが元気でやっていました。そのころは今と違っていい時代だったんでしょうね。『本の雑誌』や『ミステリマガジン』など多くの雑誌で、僕のクラブの同期や先輩たちが次々とデビューしていました。僕は実家でノンシャランと生きていましたけど、同期の三橋暁(ミステリー評論家)たちと月に1回夕方、九段下の喫茶店で読書会をやろうと集まっていました。でもまあ、それも読書会という名の酒飲み会みたいなもので、すぐに神保町の居酒屋に流れていましたねえ」

 1980年代前半というと、バブル経済の直前、景気も良かったころですね。出版界も結構調子よくて、企業のPR誌もたくさん創刊されて、フリーのライター、エディター、フォトグラファー、イラストレーターにどんどん仕事が舞い込んだ時代ですね。

 「読書会という名の飲み会をやっているうちに、一人ひとりがミステリーに関する評論やエッセーを書くようになって、そんなとき、先輩の関口苑生さん(ミステリー評論家)からの紹介で、当時自由国民社から出ていた『世界の推理小説・総解説』の増補版に文章を書いてみないかと。それが僕のブックデビューでした。そうこうしているうちに、『ミステリマガジン』(早川書房)からも声がかかり、三橋暁、柿沼瑛子(翻訳家)、大津波悦子(ミステリー評論家)と僕の、ワセミス出身4人の合同ペンネームでエッセーを書き始めました。さらに、30歳の頃でしたか、『本の雑誌』にもレギュラーで書かせてもらいました」

 30歳代は、文章を発表するメディアが広がっていくとともに、仕事の内容も増えていくころですね。

 「その頃、講談社から文庫本の解説を書いてくれないかという依頼があって、初めての仕事は西村京太郎さんの作品でした。そうすると、今度は東京創元社の、後に社長・会長になった戸川安宣さんからも仕事をいただくようになり、新人賞のお手伝いをするようになりました。戸川さんは大変見識の高い方で、立教大学在学中にミステリ・クラブを作ったり、東京創元社の編集者として多くの作家をデビューさせたり、鮎川哲也賞を創設したりと、ミステリー業界では有名な方です」

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