「遊びの約束は守らないといけない」

書物に書かれた言葉で感動したことはなかったのに

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 本を読むのが好き。本を読める生活が一生続けばいいなあ……そんな若い日の思いを振り返り、「あの頃はそんな日がずっと続くと思っていましたねえ。親と一緒に自宅に住んでいて、将来のことなど何も考えていませんでしたから」と青春時代を回想する北上次郎さん(71)。本好きが高じて、1976年に雑誌「本の雑誌」を椎名誠さんと創刊し、本名の目黒孝二として長く発行人、編集長、顧問を務めた。ミステリー、SF、エンターテインメント、時代小説、競馬小説、パチンコ小説など幅広いジャンルの書物に目を通す“目利き”の書評家でもある。その博覧強記ぶりは日本推理作家協会賞(1996年・評論その他の部門)を受賞した「冒険小説論〜近代ヒーロー像一〇〇年の変遷」(早川書房)で発揮された。今も読んでは書き読んでは書き、の日々だが、その仕事のエネルギー源は競馬だ、という人生論に耳を傾けた。

 今日は作家のポリシーというテーマでお話をうかがいます。

 「それは作家というより、私生活上のポリシーでもいいんですか」

 はい、結構です。

 「それなら一つだけいいのがあるんです。僕のこだわりというか、今の若いヤツに言っているポリシーが。エピソードがあるんですが、いいですか」

 どうぞ、どうぞ。

「今から45年くらい前、僕が25歳だったころ、小さな会社に勤めていたんですが、ある日、先輩から、目黒君、明日会社のみんなで野球の試合やるから、朝の8時に川口駅(埼玉県)に集合だぞ、と言われた。会社は新宿にあったので、そんな早朝に川口まで行くの、と。それに会社勤めをしているのは酒飲みのおっさんばかり。野球もまったくの素人。まあ、たまにはみんなで集まろうかということだったんでしょうね」

 いわゆる草野球ですね。社内のみんなで楽しもうというヤツ。

「そうそう。みんながそんな時刻に集まるのは、僕は絶対無理だと思っていました。みんな飲んだくれだし、そんな早い時間に全員集まるはずないと。そう思いながら8時前に川口駅に行ったら、すでに全員そろっていた! いやあ、びっくりしました。聞いたら、おっさんたちは前の晩に川口駅前の旅館に泊まっていたという。すごい!と感心しました」

 やる時はやるんだ、という男の心意気が感じられますね。

「その時に先輩に言われた言葉が僕の生涯のポリシー、こだわりになっています。遊びの約束は守らないといけないんだ、と。だいたい仕事の約束は皆守るものだけど、遊びの約束となると、どうせ遊びなんだからと気が緩んで、どこかに甘えが入ってくるものだと」

 20代半ばで聞いた言葉が、そんなに衝撃的だったんですか。

「僕は大学を卒業した後、八つも会社に入って、すべて入社3日目で辞めているんです。親と同居したまま、好きな本が読めればそれでいいと、将来のことなど何も考えずに生きていた。今から思うとだらしない、自堕落な生活を続けていました。高校時代から本はたくさん読んでいましたけど、書物に書かれた言葉で感動したことはなかったのに、その先輩に言われた言葉が、人生で初めて胸に響きました。オレは一生、これで行こうと思いましたね」

 それがずっと今もポリシーとして胸の中にある、と。

「そう。僕は昔から競馬が好きで、今も土・日曜日は仲間と競馬場に行くんですが、僕が決めた集合時間に遅れてくる若いヤツがいると、今でも怒るんですよ。あの時の先輩の言葉を自分は守ってきたんだ。それを若いヤツに言うわけです」

 遊びであろうと、人を待たせるのはいかん、というわけですね。

「僕は約束の15分前には着いています。時には30分前に。今でも習慣になっています。人を待たしちゃいけないというより、待たせると自分がイヤになる。気持ちがざわついてくる。早く着くと、なぜかうれしくなりますね」

 私の新聞記者時代の先輩からも、飲み会には絶対に遅れてくるな、と厳しく言われましたね。仕事は遅れても遊びの約束は厳しく守れと。反語みたいなもので、小さな約束すら守れないヤツに大きなことはできない、という戒めだったのか。些事(さじ)を甘く見ていたら大事で失敗するぞという。自分の心の中に巣食う甘えの虫に気を付けろ、という忠告だったんでしょうね。

「どこかでつながるかどうかわからないけど、僕と友達と、二人とも人情噺(ばなし)に弱いんです。僕なんかこの20年、自宅にほとんど帰っていない、まあ冷たい父親なんですが、そんな私生活がドライなヤツほど、人情噺や家族小説を読むと、すぐに涙ぐむんですよ。当時、自宅から通っていて甘えた思いがあったから、余計に先輩の言葉が厳しく胸に響いたのかもしれません」

 人間、何か自分の中で欠けているものをどこかで求めるところがあるんでしょうかねえ。ところで、先ほど「会社を3日で辞めた」という話がありましたが、本当の話なんですか。

「八つも会社を替わりました。入社した日にもうやめたいと思うんですが、初日には口に出して言えない。2日目も辞めますと言おうとするも言えず、3日目でようやく辞めますと言って、辞めてしまう。先ほど言いましたように、当時は本が読めればいい、とものすごく甘い考えで生きていましたから。でも、今から思うと、いい時代でしたね。入社初日にどの会社も1カ月分の定期代をくれるんですよ。自宅から会社までの定期券を買って、でも3日目で辞める。辞めるときに、定期代を返しましょうかというと、当時はどの会社もいいですという。日本の景気がいい頃だったんですね。ひと頃、七つくらいの定期券を持っていて、外出した時など、今日はどの定期で帰ろうかなと定期券を片手で広げたりしていました。それを見た友人が『目黒孝二のトランプ人生』と名付けて、うまいこと言うなあと感心したり」

 1960年代から70年代にかけての高度経済成長期ですね。でも、1973年には石油ショックもあって、一旦は陰りが出てきたころです。

「そのころ僕は26歳でした。小さな雑誌社に入って、何か企画を出せと言われて出したら採用されて、新しいコミック雑誌の編集長を任されたんです。作家たちと打ち合わせをして、いざこれからという時に突然、この話、ナシだと言われた。オイルショックでトイレットペーパーが足りないと大騒ぎになっていた頃で、雑誌の紙代が大幅にアップしたのでヤメだと。世の中のそんなことも知らなかったので、ええっ、やめるんですかとショックで。その後、作家たちに謝って回りましたよ」

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