「自分のしたいことは地べたを這うようにやれ」

もう一遍サイコロ振ってみよ

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鼻が曲がるような強烈なにおいを発するチーズや、胃の腑(ふ)がキュッと収縮するような刺激的な味の臓物の煮込み……。そうした食物を口にすることによって主人公の脳の奥に眠った記憶の窓が開く、といった内容の小説「ポルトガルの四月」を読んでいるとき、街のレストランで頼んだシチュー料理がテーブルに出てきた。さて、この本が絶好のスパイスになったか、はたまた絶品料理を台無しにしたか。その答えを小説の著者本人にお伝えしようと思いながら、いざお会いしたら、忘れてしまった。目の前の作家、浅暮三文さん(59)の関西弁による、2時間に及ぶ、山あり谷ありの青春一代記が面白くて、ついついその世界に引き込まれてしまったからだ。

 浅暮さんの作品にはよく、奇想小説や実験小説という形容が付けられています。確かに、味覚や嗅覚や聴覚など五感の刺激によって人間の行動や心理が影響されて物語が進展する、という内容は珍しいものでしょうね。子どもの頃からそういう作品が好きだったんですか。

「子どもの頃は図書館でまず、ポプラ社のルパンやシャーロック・ホームズ本を読んで、その後はどちらかというとファンタジーやSFを読みました。オヤジがエンターテインメント系の本が好きで、本棚には早川書房の本がたくさんありました。SFでは『火星のプリンセス』なども好きでしたね。表紙に薄物をまとったお姫様が描かれていた本です」

 本好きな子どもが、いつか書くのも好きになって、やがて作家を目指すというパターンがありますが、浅暮さんもそうですか。

「ぼんやりとではあっても、いつか小説家になれれば、という思いはありました。でも、僕は大学が経済学部で文学部ではありませんでしたし、どうすれば作家になれるのか、よくわかりませんでした」

 実際に、小説を書き始めたのはいつごろからですか。

「20代半ばで上京して、それから20年ほどコピーライターの仕事をしていましたが、20代も最後の頃からぽつぽつと小説を書いては投稿するようになりました。純文学系の小説やファンタジー系などジャンルはいろいろです。当時は何でもいいから作家デビューできたらいい、と思っていましたから。公募の文学賞に応募して、純文学系の雑誌に僕の名前が載ったこともあるんですよ」

 当時、どんな作家に影響されていたんですか。

「刺激を受けたというと、久間十義さんかな。豊田商事事件を基に書かれた『マネーゲーム』などですかね。1980年代後半の時代は割と実験小説的な作品が日本でもぽつぽつ受け入れられていて、広義の幻想小説が面白くて、影響を受けました。SFファンタジー小説のフレドリック・ブラウンなど、実験小説的な作品を読んでいました」

 奇想、幻想、実験……そういうものにひかれるというのは、どこから来たのでしょうか。自己分析していただけますか。

「まあ、これ何やろ?というほうが好きやから。ひと言でいえば、関西人やからですよ。相手をびっくりさせる、というのがありますやろ」

 大阪人はエンターテイナーである、という要素もありますね。ただ関西人がすべてそういう感覚の持ち主である、というわけでもない。そこに浅暮さん個人の資質があるはずです。

「子どもの頃、親は僕におもちゃを買い与える代わりに本を買ってくれた。オヤジの本棚には本がいっぱいあって、その後も本の海を旅している間に出合った本にひかれたということでしょうね。例えば、今の若い人は本でも音楽でも提供されたものをそのまま受け入れていて、その作品のルーツをたどっていくということをしないでしょう。子どもの頃に読んだマーク・トウェインのルーツをたどって、よく似た作家を探し当てるというように、一人の作家にひかれたら、他にもいないかなと自分で深く掘っていくことが面白いんですよ。ああ、こんな人がいたんやな、とびっくり驚くことがよくあるんです。そんなことから、他の人と違うものを書く、普通では面白くないと思うようになっていったんやろね」

 中心から周辺に向けて世界を広げていくと、いろいろな風景が見えてくる……。

「そう、マージナルと言うか、周辺に僕の興味や趣味は行ってしまうんですよ。だから、自分が書くものもそういう方向に行ってしまう。そういう本を出さざるを得なくなって、楽しみというよりは苦しみになる。そもそも日本にどれだけ実験小説を読みたがっている読者がいるものか……」

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