「時代の潮目を読み誤るな」

家族や同僚からは、訳の分からない職業だからやめとけ、と

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部屋のカーテンはすべて閉めきって日の光をシャットアウト。床には所狭しと、石柱のように一見雑然と書物が積み上げられて、足の踏み場もない状態。ちょっと不気味な絵が何枚か壁にかかり、あちこちに大小の髑髏(どくろ)のオブジェがさりげなく置かれている。作家、折原一さん(66)の仕事部屋に足を踏み入れた瞬間、得意の密室殺人の現場に使われるのかと背中がぞくっとした……というのは大げさだが、何となく天井から男がのぞいているような?どんよりと重たい空気の中でインタビューは始まった。

 これだけ本がたくさんあると、なかなか整理、処分するのが難しいでしょうね。断捨離などお考えですか。

「いつするか、タイミングが難しいですね。女房はもうたくさんの本を売ったりして処分していますけどね、私はまだ……。蔵書を処分したらうつ状態になったという人の話を聞くと、処分してすぐ死ぬのならいいけど、売り払ってから十数年も生きているとなると、ちょっとねえ」

 さて、折原さんは大学を卒業してすぐに就職して、しばらくサラリーマン生活をしていて、その後に作家生活に入ったとか。

「JTBに勤めていました。はじめの3年間は支店の窓口で旅行商品や切符を売ったり、修学旅行の添乗員をしたりしていました。その後、雑誌の『旅』編集部に異動になり、36歳のときに退職しました」

 会社を辞めるのは、サラリーマン生活と決別する、つまり安定した収入を捨てるという覚悟が必要なわけですが、当時は筆一本で生きていくという自信があったんですか。

「JTBの『旅』編集部に10年ほどいると、係長クラスという中間管理職になって、上と下に挟まれて人間関係が面白くなくなり、ストレスもたまってくる。そろそろ会社を飛び出してもいい頃かなと思い始めていたんです。その1、2年前に、大学時代のワセダミステリクラブの先輩2人に、『岡嶋三人というペンネームで合作をやらないか、それを江戸川乱歩賞に応募しよう』と誘われて、週末に喫茶店で会って3人でプロットを出し合うなどしていたんです。そのうち分業作業をどうするかでもめて、他の2人が抜けてしまった。そこで私は一つのプロットを60枚ほどの小説に書き上げて、たまたま応募締め切りが近かった『オール読物』推理小説新人賞に出したんです。それが最終選考にまで残った。あ、これはいけるんじゃないか、と少し自信を持ちました」

 大学在学中から、将来作家になるという夢があったんですね。

「いやいや、そんなことはありません。当時、小説はたくさん読み込んでいましたけど、文章力は未熟だったので作家など無理だとわかっていましたから。実際、就職してサラリーマン生活に入ってからも、33歳の頃まで小説など書いたことはありませんでした」

 そうすると、オール読物への応募作品が初めて書いた小説ということですか。

「はい。それは短編だったので、さらにいくつか短編を書いた後、次は長編を書いてみようと。当時あったサントリーミステリー大賞に応募したけど1次選考で落ちました。結構自信があった作品だったので、それを書き直して江戸川乱歩賞に出したらその作品『倒錯のロンド』が最終候補作になった。」

 踏ん切りはきっぱりと?

「やはり、安定収入がなくなるわけですから、家族や同僚からは、訳の分からない職業だからやめとけ、と止められましたよ。姉の夫からは『60歳まで書き続けられるのか』と言われました。そんな自信はありませんでしたけど、あれこれ考えていると何もできない。36歳、独身でしたから、飛び出せた。ただ、当時1987年ごろはバブル経済の真っ最中で、フリーのライターでも結構食っていける時代でしたね。『旅』の編集部にいた当時に原稿をお願いしていたフリーライターから、会社を辞めた後に『我々の世界にようこそ!』という手紙をもらいました。会社を飛び出したら、時代は昭和から平成になり、ベルリンの壁の崩壊、天安門事件が起こるなど、振り返るといろいろな出来事が立て続けに起きた激動の時期でした。今から思っても、いい時に飛び出したな、作家への道の第一歩を踏み出せたな、結構、潮目を読むのがうまかったな、と思っています」

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