メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

Features:戦火逃れ「共栄」の道 柔道 ポポル・ミセンガ(24)、ヨランデ・ブカサ(28)

記者会見をする難民五輪選手団のミセンガ(右)とブカサ。「難民の希望になりたい」。ミセンガは故郷の兄弟を思い、涙を流した=リオデジャネイロで2016年7月30日、梅村直承撮影

Features

戦火逃れ「共栄」の道 柔道 ポポル・ミセンガ(24)、ヨランデ・ブカサ(28)

 <Features・リオ きょうの主役>

    難民代表、リオで転生

     戦火に見舞われた故郷へ思いをはせながら、リオデジャネイロ五輪に挑む2人の難民柔道家がいる。内戦が続くコンゴ民主共和国(旧ザイール)を離れ、リオデジャネイロ市で暮らす男子90キロ級のポポル・ミセンガ(24)と女子70キロ級のヨランデ・ブカサ(28)。国際オリンピック委員会(IOC)が初めて結成した10人の難民五輪選手団のメンバーだ。「世界中の難民の希望になりたい」。熱い思いを胸に10日(日本時間同)、2人は畳に立つ。

     五輪開幕を5日後に控えた先月31日、2人は世界各国のメディアを前に記者会見に臨んだ。家族へのメッセージを求められたミセンガの言葉が涙で詰まった。「私には故郷に兄弟がいる。幼いころに離れ離れになり、顔もよく覚えていない。もしこの声が届くなら、僕が元気でいて、五輪に出ることを伝えたい。僕が航空券を買って、ここに呼んで、また一緒に暮らしたい」。そう呼び掛けると、手で顔を覆った。隣の席で、ブカサが涙がこぼれ落ちないように天井を見上げていた。

    難民選手団の10人

     アフリカ中部に位置するコンゴ民主共和国に2人は生まれた。ミセンガの村で内戦が激化したのは9歳のころ。村人が虐殺され、鉱山の採掘現場で子供が強制労働をさせられていた。一家は逃亡しているうちに離れ離れになった。ミセンガは独りぼっちになり、森の中で1週間以上、身を潜めた。仕事を求めて歩いたが「いらない」と追い払われた。頼るところもなく、道ばたでも寝た。首都キンシャサにたどり着くと、器具も何もないがらんとした運動施設があった。自らサンドバッグを作り、持ち上げて鍛えた。6歳から始めていた国民的競技の柔道を再開し、生きがいとなった。

     ブカサは父の仕事で引っ越した先の村で内戦に遭った。家族と生き別れ、毎日泣いていた。保護された施設で柔道と出合った。

     柔道を通じて、2人の人生が交わった。共に才能を伸ばし、代表に呼ばれたのだ。2013年8月、リオデジャネイロでの世界選手権に出場したとき、宿泊先でチーム関係者が荷物などすべてを持って姿を消した。2人は路頭に迷い、母国語のフランス語が通じるアフリカ出身者を探して歩いた。空腹に耐えて、路上で寝た。ブカサは「もう耐えられない」と泣き、隣でミセンガはじっとこらえた。2人は難民申請をして、ファベーラ(貧民街)の知り合いの家を訪ねた。

     暮らしが転換したのが昨年5月。知人から、リオ市で貧しい地区の選手らを無償で受け入れる道場を主宰するブラジル男子代表の前ヘッドコーチ、ジェラルド・ベルナルデスさん(73)を紹介されたときだ。麻薬取引や銃撃戦の危険と隣り合わせの生活を送る子供たちに「違う世界を見せたい」とベルナルデスさんらがリオ市内で始めた事業で、今大会ブラジルの第1号金メダルを8日に獲得した女子57キロ級のラファエラ・シルバが育ち、今も拠点とする道場だった。

     2人は練習を再開した。当時のミセンガの様子をベルナルデスさんは振り返る。「コンゴでは負ければ、厳しく罰せられていたようだ。『おはよう』と肩に手を置かれると、払いのけた。挑発されていると思っていた」

     「自他共栄」の教えを残した講道館柔道の創始者、嘉納治五郎の写真が飾られた道場で2人は練習した。分け隔てない空気が2人のこわばった心を溶かした。ブカサは「柔道着の替えがなく、洗濯ができない」と苦笑しながらも心地いい汗を流した。ミセンガはトラックの荷積みなど日雇いの仕事も入った。生活が好転し、彼女との間に長男エリアージ君が誕生した。ひび割れたスマートフォンの画面に、その笑顔を持ち歩いている。道場は2人の居場所となった。

     朗報が届いたのは昨年10月だった。IOCが世界中で増加し、6000万人を超すともいわれる難民に五輪の門戸を開くことを決めた。国際競技団体が定める競技水準を持つものが選考されることになり、練習に力が入った。IOCが6月に発表した選手団リストに2人の名があった。

     難民五輪選手団は選手村に入り、人種も宗教も政治も性別も分け隔てない毎日を送る。ミセンガは改めて思う。「スポーツは僕の人生を変えてくれた。自分がここにいるのが信じられない」。だから試合では、難民の代表として戦おうと思う。

     ブカサも感慨はひとしおだ。「母国では学校なんて行けなかった。そんな時、スポーツが自分の人生の中に入ってきた。スポーツは私にとって、もう一つの家族だ」と、すっかり流ちょうになったポルトガル語で語る。黒髪は短く切り、ブロンドに染めた。「私の新しい生活が始まり、新しい物語が始まる」。その決意を込めたという。

     長く険しい道のりだった。今、その先に希望を見つけて2人は歩き続けている。「始め」。主審の声が畳に響く時、世界中の難民に希望を照らす挑戦も始まる。【藤野智成】

    柔道創始者・嘉納治五郎氏の写真を正面に飾った道場で練習後に笑顔を見せるポポル・ミセンガ(右)とヨランデ・ブカサ=リオデジャネイロで2015年12月4日、梅村直承撮影