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五輪スノーボード

戸塚、亡き「兄」と挑む 

スノーボード男子ハーフパイプ決勝1回目でエアを決める戸塚優斗=フェニックス・スノーパークで2018年2月14日、宮間俊樹撮影

 【平昌・神足俊輔】平昌冬季五輪で14日に行われたスノーボード男子ハーフパイプの決勝で高校1年生の戸塚優斗(ヨネックス、神奈川・光明学園相模原高)は11位だった。決勝に進んだ12選手で最年少の16歳は2回目に転倒で負傷して、3回目は棄権したものの、不慮の事故で亡くなった「兄」の心とともに果敢に勝負に挑んだ。

憧れの選手、心に刻み跳ぶ

 「兄」は同じヨネックスの契約ライダーで、将来を有望視されていた柳原真央さん。戸塚にとって「一緒に活動して、兄弟みたいな感じ。尊敬していた」という存在だった。だが2011年12月、当時17歳だった柳原さんは大会に向かう途中で交通事故で死亡。同じ大会に出ていたあの日、10歳だった戸塚の元には来るはずの「兄」が来なかった。表彰式の時に悲報を知ってぼうぜん。参列した葬儀では涙が止まらなかった。

 戸塚が初めてスノーボードを履いたのは2歳の時。スノーボードが好きな母が「無理やり履かせた」。3歳から滑り始め、小学校に入ってからは楽しくなって毎週のように母とゲレンデに向かった。ハーフパイプを始めるとすぐにのめり込み、やがてハーフパイプの選手だった柳原さんの滑る姿を見て憧れた。川崎市在住の柳原さんは「首都圏初のハーフパイプ五輪出場」を目標に努力していた。戸塚も隣の横浜市在住。同じ夢を一緒に目指すはずだった。

 14年ソチ五輪で平野歩夢(19)=木下グループ=が銀メダル、平岡卓(22)=バートン=が銅を獲得する姿を見て「かっこいい」と刺激を受け、五輪への思いはより強まった。2年前からは板に、真央さんの名を記した「NEXT SKY MAO」というステッカーを貼った。いつも真央さんとともに滑ることで力をもらい、世界で戦いたいという願いを込めた。

 柳原さん、戸塚の双方と親交のあるスノーボードショップ店長の中本健太郎さん(45)は、五輪シーズンが始まる直前の昨年8月、戸塚が「もし真央くんが生きていたら、一緒にオリンピックに出られたかもしれないね」とつぶやくのを聞いたという。その思いの通り、戸塚は9月に初出場したワールドカップ(W杯)でいきなり優勝。そこからもW杯4戦連続で表彰台に乗るなど急成長し、念願の五輪出場を果たした。

 五輪ではルールでステッカーを貼ることができずに決勝ではポケットに入れて滑走した。日本オリンピック委員会(JOC)によると、大事ではないものの転倒で腰を強打したため、会場近くの病院へ向かったという。それでも「真央くんのために、という気持ちも背負ってオリンピックに挑んでいきたい」という気持ちは、遠い空から見守った柳原さんにも届いたはずだ。

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