メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

Promises 2020への約束:スノボ竹内×重量挙げ三宅 けがと向き合い銀

バーベルに手を添えてリオデジャネイロ五輪の名場面を再現する三宅宏実(左)と竹内智香=東京都北区で2018年6月14日、渡部直樹撮影

Promises 2020への約束

スノボ竹内×重量挙げ三宅 けがと向き合い銀

 競技の枠を超えて思いを語り合う「Promises 2020への約束」は、スノーボード女子パラレル大回転の竹内智香(34)=広島ガス=と、女子重量挙げの三宅宏実(32)=いちご=の五輪銀メダリストが対談した。2月の平昌五輪で5大会連続の五輪出場を果たした竹内、2020年東京五輪で5大会連続出場を狙う三宅。けがと向き合い、長年競技への意欲を保ち続ける女性アスリートの本音に迫った。(対談は6月14日に実施)【構成・倉沢仁志、写真・渡部直樹】

    けがの先に目標見た

     ――初対面ですが、お互いの印象を聞かせてください。

     三宅 14年ソチ五輪で初めて見たのですが、すごいきれいな方だなというのが第一印象です。

     竹内 私は、重量挙げイコール、三宅さん。12年ロンドン五輪で銀メダルを取る前から、ずっとニュースを見ていた。よくあんなに小さい体であんなに重たいものを持ち上げられるなと。

     ――三宅さんは、スノーボードの経験はありますか。

     三宅 1回だけ。昔、新潟で合宿をした時にスノーボードを初めてやったんですけど、怖くて。板1枚なので、足がそろってリフトも降りられなくて、もうできないと思いました。すごくバランス感覚もいりますよね。

     竹内 あとは勇気が一番いるかもしれないですね。

     三宅 ちょっとした坂も怖くて。でも、引退したらスノーボードをやりたいなと思います。

     竹内 ぜひ一緒に行きたいです。

    初対面とは思えないほど、会話が弾んだ2人。この日の朝食は竹内がコーヒーのみ。三宅はご飯やウインナーだったという

     ――竹内さんは重量挙げに対して、どんなイメージを持っていますか。

     竹内 バーベルを使うトレーニングは、2年前からたくさんやっています。先ほど、「(首の下まで引き上げる)クリーンの記録はどのくらいですか」と三宅さんに聞いたら、「100キロちょっとです」と言われました。私は50キロちょっとです。体格的には同じような重量を持てて当たり前なんだけど……。でも、やってみたいという気持ちよりは、早くこれを見ない世界に行きたいなという気持ちになっちゃいます(笑い)。今は進退について考えていますが、次の世代が育っていないということもあり、大きな悩みです。

     ――2人の共通項を探ると、「けが」が一つのキーワードです。竹内さんは、16年3月の左膝前十字靱帯(じんたい)断裂の大けがを乗り越えて18年平昌五輪に出場。三宅さんは16年リオデジャネイロ五輪前からヘルニアによる腰痛を抱えつつ、東京五輪への道を探っています。けがとの向き合い方とは。

     竹内 私の場合は、競技の特性上多いけがなので、「もし自分がこのけがをしたら引退なんだろうな」と思っていました。でも、実際になってみると意外と重く感じなかったというか、けががあったことで目標がすごく明確になりました。ちゃんとやれば必ず治るっていう目標があるから、一日一日が楽しかったな。(ソチ五輪から平昌五輪への)4年というスパンはすごく長いと感じていて、「続けなきゃよかったな」と思っていた中でけがをしました。トレーニングを頑張る目標ができて、けがに救われました。強がりとか何でもなくて、けがをして良かったと感じました。

     三宅 ストレッチの時間は増えましたか。

     竹内 増えましたね。靱帯を切る前は、0分だったんですよ(笑い)。やらなかった理由は、すごく尊敬しているメダリストがいて、その人は準備体操せずにいきなり滑っちゃうんですよ。ウオーミングアップとかしなくて大丈夫なのかと聞いたら、「リスを見てみろよ」って。「リスはいきなり虎とかに襲われそうになったとしても、アップしないで急に走り出すだろ」って。でも靱帯を切ってからは、練習の始まる前と終わった後で合計1時間くらいストレッチをやっています。三宅さんは腰のヘルニアのケアでストレッチをしていますか。

     三宅 ヘルニアとは、かれこれ2年くらいお友だちです。

     竹内 完治はしないんですよね?

     三宅 治ると思って日々やっています。発症した時に比べたら痛み具合も変わってきました。でも、腰は永遠の課題。30歳を超えて、ストレッチの重要性を感じています。このけがで得ることもたくさんあって、そこは良かったと思う。でも、やることはまだまだいっぱいあります。克服し、ヘルニアで悩んでいる人たちがいたら教えてあげたいと思っているので、自分の体で実験ではないけど、日々挑戦みたいに考えています。

     竹内 ちなみにリオ五輪では、メダルを取れる感触はありましたか。

     三宅 半々でしたね。でも、最後までメダルにトライしたい気持ちはありました。あとは運任せじゃないけど、やることをやって後悔なく臨めば、結果は満足できるかなと思った。そしたら運良く、銅メダルを取れました。

     竹内 あの(バーベルに抱きついた)ポーズはやろうって決めていたの?

     三宅 決めていません。とりあえず(バーベルに)「サンキュー」みたいな(笑い)。

     竹内 私は平昌五輪の時、競技人生の中で過去最悪くらい調子が悪かった。予選通過すら厳しいなと思うくらい。でも、「メダルを取る」って言っていたし、良い滑りをしなきゃいけないというプレッシャーもありました。三宅さんは、けがをしながら、リオ五輪で銅メダルに食い込んでいった。精神面をどうコントロールしていたんですか。

     三宅 けがをしてから五輪に出るまでの間に、いろいろ計画を立てて、何があっても悔いを残したくないという気持ちでやっていました。また、いろいろな人たちがサポートしてくれて、諦めずに前を向かせてくれました。とにかく出し切ればいいかなと。試合の日は、もしだめでも、「頑張りが足りなかった」と受け止めようと思っていました。わりとすっきりしていましたね。最後は周りの後押しという感じでした。

    技術 もっと完成させたい

    三宅の最長オフは2日間。「温泉とかは(インターネット)サイトを見て、こんな旅館に行きたい、と思っていますね」

     竹内 そういう思いをして銅メダルをちゃんと取れて、さらに今も現役を続ける原動力って何ですか。

     三宅 やはり純粋に地元・日本で開かれる東京五輪は一生で一度しか味わえないことがあります。あとは私自身、競技が好きで、技術が未完成。もっと重量挙げを完成させたいという欲がある。中途半端な気持ちで終わるのがすごく嫌なので、「これだ」と言えるまでは、やっぱりやめたくない。あとは自分の可能性をしぶとく信じているから続けているのかな、と思います。

     竹内 今、明確な目標って定まっていますか。例えば東京五輪でこうなりたいとか、重量挙げというスポーツを完成させたい気持ちが強いとか。

     三宅 東京五輪というゴールもありますが、けがをどれだけ完治させられるか、もう少し楽にバーベルを挙げられるようになるか、という目標もあります。どちらかというと、今は技術を上達させたい。その先に記録があると思っています。

     竹内 今の三宅さんの答えを聞いて、五輪だけではなくて、一年一年というスパンで何か頑張れるなら、もう一回やる選択肢もなくはないかもしれません。今、それと向き合うために考えています。私は次(22年北京冬季五輪)に出るとしたら6回目です。こういう表現はいけないかもしれないけど、出るだけなら可能だと思っています。でも、メダルを狙えないのであれば、私は興味がないんですよね。だから、三宅さんみたいに何かを追求したその先に、東京五輪につながるものがあると考えてもう一回、4年間を考えられるというのはすごいと思う。しかもメダルを二つ取っていて。

    メダル逃して 価値知った

    「30歳までは大好きなお菓子ばかり食べていました」と竹内。現在は魚を多く食べるようにしているという

     ――30歳を超えても競技を続けるモチベーションはどこにありますか。

     竹内 私の種目はメダルが取れないって以前から言われていて、先入観がありました。でも欧州で活動して、狙える手応えをつかみ、ソチ五輪で銀メダルを取りました。ソチ五輪の時は、金メダルが取れると思うくらい本当に調子が良く、手応えがあったなかでの銀。だから喜びとかは全く感じることができませんでした。メダルセレモニーの会場まで移動している間も、ずっとふてくされていました。コーチは「いいじゃん、金メダル級だよ」と言ってましたけど、「いやいや、どう見ても銀は銀だから」みたいな。だからどうしても金メダルがほしくて、もう一回平昌に向けて頑張ろうと思ったんです。だけど、けがをしたりモチベーションが全く上がってこなかったりして、なかなか気持ちがついてきませんでした。平昌五輪は5位でメダルセレモニーを観客席から見ていて、そこで初めて「4年前は、この3人の中に私がいたんだ」と思うと、メダルがすごい輝いているように見えました。4年間目指してきて、頑張ることの難しさだったり、ピークをそこにもっていくことの難しさを感じたりしたことで、4年前のメダルについて、「取っておいて良かった。いいものを取れた」と思えました。それが今回の4年間の価値なのかなと感じています。

     三宅 銀メダルを取った時の心情やメダルへの思い入れが、全然私と違いますね。

     竹内 ソチ五輪でやめていたら、もっとメダルを甘く見ていました。「頑張って環境さえあれば取れるんだよ」というふうに甘く評価する人間になっていたかもしれないと思うと、いろいろ感情の引き出しが増えました。

     三宅 進退についての話もありましたが、竹内さんが今、やりたいことって何ですか。

     竹内 スキューバダイビングの資格を取ろうと思っています。取ったら、いろいろな海に行きたい。いつも雪ばかりなので、海で全く逆の世界を見たいです。あとはゴルフとか。今までできなかったことを全部やってみて、その中で「やっぱり戦いたい」と思ったときは戻る時なんだろうな。だから今は、可能な限りスノーボードから離れるようにしています。三宅さんはリフレッシュをどうしていますか?

     三宅 私はリフレッシュの仕方がすごくへたくそで、悩んでいます。どうやったら自分を喜ばせることができるかなって。旅行や温泉も好きなんですけど、頻繁に行けるわけでもないし。

     竹内 まとめて2、3週間のオフはないんですか。

     三宅 絶対ないですね。

     竹内 絶対ないの? 最長は?

     三宅 最長でも2日とか。1週間休んだら、筋力を戻すのに倍はかかっちゃうんで。

     竹内 私ならとっくに心が折れています……。

    スノーボードを挟んで手の大きさを比べた2人。三宅は「あ、(身長がボードに)抜かされている」

     三宅 もし1週間とか1カ月あったら、私も海外とかに旅行したいなと思っているんですけど。温泉とかはサイトで見て、あーこんな旅館にチャンスがあったら行きたいなって思っています。

     竹内 切なくなってきた(笑い)。うちの実家は旅館をやっているので、ぜひお越しください。温泉宿ですし、(北海道の)旭山動物園とか富良野とか近いですよ。でも食事制限とか、減量も大変ですよね。

     三宅 今は栄養士さんに教えてもらいながら体重調整をしています。他のみなさんも、減量のことを言ってくださるんですけど、ご褒美の日も必要です。竹内さんは体重調整はしますか。

     竹内 私は重いに越したことはないので、食事制限は考えていません。むしろ30歳まではお菓子ばかり食べていました。お菓子は和菓子から洋菓子まで何でも好きです。ソチ五輪のお昼ご飯もスナック菓子だったんですよ。けがをして、良いもの食べないといけないと心掛けたら体質がすごく変わりましたね。食事ってすごく大事だと思うようになりました。30歳を過ぎてから、急に断食にはまってみたり、お肉だけを食べる生活や、ミックスジュースだけの生活とか極端にテストをしたりしています。この前、血液検査をしたら、お肉の食べ過ぎと言われ、最近は魚を多く食べるようにしています。自分の体で実験するのが好きですね(笑い)。

     ――お互い対照的な部分もありましたが、今回の対談はいかがでしたか。

     三宅 なかなか冬季競技の選手とお会いすることがないので、今日お会いできて、すごくうれしい。栄養のお話とか競技へ取り組む過程とか、普段聞けないお話もたくさん聞くことができて楽しかったです。もっとたくさんお話を聞きたいくらい。どの道に進んでも、ずっと応援しています。

     竹内 前から聞きたい話がたくさんあって、今日それを少し聞けてすごく楽しかった。競技を続けようか、どうしようかという状況に自分が置かれている中で、三宅さんとは世代が近く、似ている境遇もすごくたくさんありました。私も可能な限り、スノーボードで探求できるものがあれば頑張っていきたい。今日は目標設定の仕方や、頑張り方を聞けてすごく勉強になったし、私にとっても何か生きる部分があるんじゃないかな。東京五輪を見る楽しみが一つ増えたので、これからも頑張ってください。

    バーベルを持つ竹内に対し、三宅は「この腰の傾斜から、構え。ひざの入り方もすごく良いです」

     みやけ・ひろみ 埼玉県新座市出身。18歳で2004年アテネ五輪女子48キロ級に初出場。12年ロンドン五輪で銀、16年リオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得。父義行さんは1968年メキシコ五輪銅メダルで、日本ウエイトリフティング協会会長。

     たけうち・ともか 北海道旭川市出身。五輪はクラーク記念国際高3年だった2002年のソルトレークシティー五輪から18年平昌五輪まで5大会連続出場。12年12月にワールドカップ初優勝。14年ソチ五輪では、パラレル大回転で銀メダルを獲得した。