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月刊東京五輪

Promises・2020への約束 対談 女子重量挙げ・三宅宏実/スノーボード女子パラレル大回転・竹内智香

バーベルに手を添えてリオデジャネイロ五輪の名場面を再現する三宅(左)と竹内=渡部直樹撮影

 <東京五輪まであと766日・パラリンピックまであと798日>

    けがの先に目標見た

     競技の枠を超えて思いを語り合う「Promises 2020への約束」は、スノーボード女子パラレル大回転の竹内智香(34)=広島ガス=と、女子重量挙げの三宅宏実(32)=いちご=の五輪銀メダリストが対談した。2月の平昌五輪で5大会連続の五輪出場を果たした竹内、2020年東京五輪で5大会連続出場を狙う三宅。けがと向き合い、長年競技への意欲を保ち続ける女性アスリートの本音に迫った。【構成・倉沢仁志】

    技術もっと完成させたい 女子重量挙げ・三宅宏実(32)

    メダル逃して価値知った スノーボード女子パラレル大回転・竹内智香(34)

     --初対面ですが、お互いの印象を聞かせてください。

     三宅 14年ソチ五輪で初めて見たのですが、すごくきれいな方だなというのが第一印象です。

     竹内 私は、重量挙げイコール、三宅さん。12年ロンドン五輪で銀メダルを取る前から、ずっとニュースを見ていました。よくあんなに小さい体で、あんなに重たいものを持ち上げられるなと。

     --2人の共通項を探ると、「けが」が一つのキーワードです。竹内さんは、16年3月の左膝前十字靱帯(じんたい)断裂の大けがを乗り越えて18年平昌五輪に出場。三宅さんは16年リオデジャネイロ五輪前からヘルニアによる腰痛を抱えつつ、東京五輪への道を探っています。けがとの向き合い方とは。

     竹内 私の場合は、競技の特性上多いけがなので、「自分がこのけがをしたら引退なんだろうな」と思っていました。でも、実際になってみると、けががあったことで目標がすごく明確になりました。ちゃんとやれば必ず治るっていう目標があるから、一日一日が楽しかったな。トレーニングを頑張る目標ができて、けがに救われました。強がりでも何でもなくて、けがをして良かったと感じました。

     三宅 ストレッチの時間は増えましたか。

     竹内 増えましたね。靱帯を切る前は、0分だったんですよ(笑い)。やらなかった理由は、すごく尊敬しているメダリストがいて、その人は準備体操せずにいきなり滑っちゃうんです。ウオーミングアップとかしなくて大丈夫なのかと聞いたら、「リスを見てみろよ」って。「リスはいきなり虎とかに襲われそうになったとしても、アップしないで急に走り出すだろ」って。でも靱帯を切ってからは、練習の始まる前と終わった後で合計1時間くらいストレッチをやっています。三宅さんは、腰のヘルニアのケアでストレッチをしていますか。

     三宅 治ると思って日々やっています。発症した時に比べたら痛みの具合も変わってきました。でも、腰は永遠の課題。30歳を超えて、ストレッチの重要性を感じています。このけがで得ることもたくさんあって、そこは良かったと思う。でもやることはまだまだいっぱいあります。克服し、ヘルニアで悩んでいる人たちがいたら教えてあげたいと思っているので、自分の体で実験ではないけど、日々挑戦みたいに考えています。

     竹内 ちなみにリオ五輪では、メダルを取れる感触はありましたか。

     三宅 半々でしたね。でも、最後までメダルにトライしたい気持ちはありました。あとは運任せじゃないけど、やることをやって、後悔なく臨めば、結果は満足できるかなと思いました。そしたら運良く、銅メダルを取れました。

     竹内 あの(バーベルに抱きついた)ポーズはやろうって決めていたの?

     三宅 決めていません。とりあえず(バーベルに)「サンキュー」みたいな(笑い)。

     竹内 私は今、進退についていろいろ悩んでいるんですけど、三宅さんは銅メダルを取って、今も現役を続ける原動力って何ですか。

     三宅 やはり純粋に地元・日本で開かれる東京五輪というのは一生で一度しか味わえないこと。あとは私自身、競技が好きで、まだ技術が未完成。もっと重量挙げを完成させたいという欲がある。あとは自分の可能性をしぶとく信じているから続けているのかな、と思います。

     --30歳を超えても競技を続けるモチベーションはどこにありますか。

     竹内 私の種目はメダルが取れないって以前から言われていて、先入観がありました。でも欧州で活動して、狙える手応えをつかみました。ソチ五輪の時は、金メダルが取れると思うくらい本当に調子が良かったので、銀メダルでも喜びとかは全く感じることができませんでした。メダルセレモニーの会場まで移動する間もずっとふてくされていました。どうしても金メダルが欲しくて、もう一回平昌五輪に向けて頑張ろうと思ったんです。だけど、けがをしたりモチベーションが全く上がってこなかったりして、なかなか気持ちがついてきませんでした。平昌五輪は5位でメダルセレモニーを観客席から見ていて、「4年前は、この3人の中に私がいたんだ」と思うと、メダルがすごく輝いて見えました。メダルを「取っておいて良かった」と思えました。それが今回の4年間の価値なのかなと感じています。

     三宅 銀メダルを取った時の心情やメダルへの思い入れが、全然私と違いますね。

     竹内 ソチ五輪でやめていたら、もっとメダルを甘く見ていました。「頑張って環境さえあれば取れるんだよ」というふうに甘く評価する人間になっていたかもしれないと思うと、いろいろ感情の引き出しが増えました。

     三宅 進退についての話もありましたが、竹内さんが今、やりたいことって何ですか。

     竹内 スキューバダイビングの資格を取って、いろいろな海に行きたいですね。いつも雪ばかりなので、海で逆の世界を見たいです。今は可能な限りスノーボードから離れるようにしています。できなかったことを全部やってみて、「やっぱり戦いたい」と思った時は戻る時なんだろうな。三宅さんはリフレッシュをどうしてますか?

     三宅 私はリフレッシュの仕方がすごくへたくそで、悩んでいます。旅行や温泉も好きなんですけど、頻繁に行けるわけでもないし。温泉とかは(インターネットの)サイトで見て、「こんな旅館にチャンスがあったら行きたいな」って思っていますね。

     竹内 切なくなってきた(笑い)。うちの実家は旅館をやっているので、ぜひお越しください。温泉宿ですし、(北海道の)旭山動物園とか富良野とか近いですよ。

     --お互い対照的な部分もありましたが、今回の対談はいかがでしたか。

     三宅 なかなか冬季競技の選手とお会いすることがないので、普段聞けないお話もたくさん聞くことができて楽しかったです。もっとお話を聞きたいくらい。どの道に進んでもずっと応援しています。

     竹内 競技を続けようかどうしようかという状況に自分が置かれている中で、三宅さんとは世代が近く、似ている境遇もすごくたくさんありました。私も可能な限り、スノーボードで探求できるものがあれば頑張っていきたい。東京五輪を見る楽しみが一つ増えたので、これからも頑張ってください。


     ■人物略歴

    みやけ・ひろみ

     埼玉県新座市出身。18歳で2004年アテネ五輪女子48キロ級に初出場。12年ロンドン五輪で銀、16年リオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得。父義行さんは1968年メキシコ五輪銅メダルで、日本ウエイトリフティング協会会長。


     ■人物略歴

    たけうち・ともか

     北海道旭川市出身。五輪はクラーク記念国際高3年だった2002年のソルトレークシティー五輪から18年平昌五輪まで5大会連続出場。12年12月にワールドカップ初優勝。14年ソチ五輪では、パラレル大回転で銀メダルを獲得した。


     原則、第3火曜日に掲載します。

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