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毎日新聞

インタビューに答えるJOCの竹田恒和会長=東京都渋谷区で2019年2月25日、宮間俊樹撮影

東京・わたし

JOC・竹田恒和会長「世界中に復興した姿見せる」

 2020年東京五輪の招致委員会理事長を務め、東日本大震災からの「復興五輪」の意義を訴えてきた日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長(71)に被災地への思いを聞きました。【聞き手・小林悠太】

     ――東日本大震災から約4カ月後の11年7月、20年大会の立候補が正式に決まりました。

     ◆震災が起きた時は、正直、(20年大会の国内)開催は難しいと思いました。招致活動どころではない。まずは被災地に対し、何ができるのかをスポーツ界みんなで考えました。

     ――どのような課程で「復興五輪」を招致活動の旗印にすることとなりましたか。

     ◆オリンピアンやトップ選手が被災地へ行き、炊き出しなどの活動を行い、「元気を与えてもらった」という感謝の言葉を耳にしました。次第に被災地のみなさんからも「ぜひ五輪を開催して、子どもたちに夢や勇気を与えてもらいたい」「世界中の人に復興を見てもらえる良い機会になる」という話を聞くようになりました。

     五輪の基本原則は、スポーツを通じ、世界平和に貢献していくこと。我々としても「復興のための五輪」は、被災地のみなさんに大きなメリットを与えられると考えました。「復興五輪」という考え方は、いつ、どこで、誰が言ったかなどでなく、みんなで盛り上がり、多くの方のコンセンサスを得て始まったことです。

     ――11年6月に宮城県と福島県、同年8月に岩手県のそれぞれの知事や副知事を訪ね、招致への理解と協力を求めていきました。

    インタビューに答えるJOCの竹田恒和会長=東京都渋谷区で2019年2月25日、宮間俊樹撮影

     ◆被災県のトップのご意見をいただくことは非常に重要だと思い、自ら行きました。宮城県と岩手県はその場で賛同をいただきました。福島県の佐藤雄平知事(当時)からは「アスリートが子どもたちを勇気づけてくれ、非常に感謝しています」という言葉とともに、「県民のみなさんに賛同をいただけるか、少し時間をください」と言われ、すぐに返事をいただけなかった。福島は(被害規模の)事情が違うので、当然だろうと思いました。

     ――当時、竹田会長は「サッカーなどを岩手、宮城、福島の3県で実施したい」という考えを伝えていました。結果的に東北でサッカーを行うのは宮城県のみ。福島県は野球・ソフトボールがありますが、岩手県は競技が開催されません。

     ◆当時のIOC(国際オリンピック委員会)の基本的な考えは、会場が集まっている「コンパクト五輪」。東京都外のいろいろなところに会場を分散させることは誰も考えていませんでした。当初の計画ではサッカーを東北の1カ所に持っていければと思っていました。その後、IOCが14年に決めた中長期計画の「アジェンダ2020」で柔軟な対応ができるようになり、野球・ソフトボールも追加競技で認められ、福島で行うことができるようになりました。また、聖火リレーを福島県からスタートすることも素晴らしいことです。

     ――JOCは11年10月からオリンピアンと被災地の子どもたちが交流する「オリンピックデー・フェスタ」を開催しています。

     ◆当時は3年間で60回だけ行う計画でしたが、私は「20年までやるべきだ」と事務局と話し、続けることになりました。

     ――大会本番で「復興五輪」の思いを伝えるために今後の課題は。

     ◆現状、課題はありません。五輪が来ることで、被災地の子どもたちに大きな夢と感動を与え、世界中の人たちには復興した姿を見せられます。必ず大きなプラスになります。

    たけだ・つねかず

     馬術で1972年ミュンヘン五輪、76年モントリオール五輪に出場。2001年に53歳でJOC会長に就任し、現在10期目。12年からはIOC委員も務める。明治天皇のひ孫。父の故・恒徳氏は戦後、皇籍を離脱するまでは「竹田宮家」と呼ばれ、IOC委員を務めた。

    小林悠太

    毎日新聞東京本社運動部。1983年、埼玉県生まれ。2006年入社。甲府支局、西部運動課を経て、16年から東京本社運動部。リオデジャネイロ五輪を現地取材した。バドミントン、陸上、バレーボールなどを担当。学生時代、184センチの身長を生かそうとバレーに熱中。幼稚園児の長男、次男とバレーのパスをするのが目下の夢。