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毎日新聞

第7回アントワープ大会のテニス男子シングルスで準優勝し、夏季大会で日本人最初のメダリストになった熊谷一弥選手=1920年撮影

オリパラこぼれ話

日本人メダリストの歴史

 夏季大会で日本人最初のメダリストは第7回アントワープ大会(1920年)で生まれた。テニス男子シングルスで準優勝した熊谷一弥選手だった。柏尾誠一郎選手と組んだダブルスでも準優勝している。日本人が夏季五輪に出場するようになって2回目で手にした栄冠だ。

     熊谷選手は慶応大卒業後、合資会社のニューヨーク支店勤務時代に腕を磨いた。全米大会で好成績を収めて五輪に臨んだ。ところが、前夜は興奮して寝付けず睡眠不足となり、惜しくも優勝を逃した。

     また、金メダリスト第1号はその8年後、第9回アムステルダム大会(28年)三段跳びの織田幹雄選手だった。予選で15メートル21を出し優勝した。当時は予選か決勝かに関わらず順位を決めており、決勝で織田選手の記録を超える選手がいなかった。出身の広島で67年から行われている陸上の織田幹雄記念国際大会は織田選手の栄誉をたたえ創設された。

     このアムステルダム大会では女子初のメダリストも誕生した。人見絹枝選手だ。陸上800メートルで銀メダルを獲得した。日本代表初の女性で本来は100メートルの選手だったが、初めて出場した800メートルでの栄冠となった。

     女子初の金メダリストは、さらに8年後のベルリン大会(36年)に出場した競泳200メートル平泳ぎの前畑秀子選手である。前畑選手がドイツの選手と競るレース展開に、NHKの河西三省アナウンサーがラジオで「前畑頑張れ! 前畑頑張れ!」と声を張り上げた中継は話題となり、後年まで語られた。

     メダリストの年齢は幅広い。最年少で金メダリストになったのは、第25回バルセロナ大会(92年)女子200メートル平泳ぎで優勝した岩崎恭子選手だ。中学2年生で、14歳になったばかりだった。レース直後のインタビューでの発言「今まで生きてきた中で、一番幸せです」で人々に記憶された。最年長は48歳で第23回ロサンゼルス大会(84年)射撃金メダルの蒲池猛夫選手だった。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。