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東京へ ともに歩む

毎日新聞

強風の中、レースをするオーストラリア艇(左)。その後、選手が海の中に落ちる事故が起きた=1964年10月14日撮影

オリパラこぼれ話

成績よりもシーマンシップ 「人間愛の金メダル」

ウィンター選手(左)と固い握手を交わすラース・キエル選手(右)とスリグ・キエル選手の兄弟=1964年10月15日撮影

 第18回東京大会(1964年)のヨットレース会場で海の男たちの心温まるドラマが生まれた。FD(フライングダッチマン)級(2人乗り)の第3レースが行われた10月14日。会場の神奈川・江の島沖は雨雲が低く垂れ込み、風速15メートルほどの強い北風が吹き荒れた。前日の穏やかな微風からは一転した荒天で故障や転覆する艇が続出する中、その事故は起きた。

     FD級は21カ国21艇がエントリー。12日から21日までの10日間で計7レースを行い、着順による総合得点で順位を競う。14日は20艇が午前11時にレースをスタートした。

     トップグループにいたグレゴリー・ダウ、チャールス・ウィンター両選手が操縦するオーストラリア艇は、第3マークのブイを回航しようとしていた。強風に対して全身を艇の外に乗り出し、傾きを保っていたウィンター選手は綱から手を滑らせ海の中に落ちてしまった。ダウ選手が気づき救助しようとするも、間もなく艇は転覆した。後方からはスウェーデン艇のラース・キエル、スリグ・キエル両選手が近づいてきた。2人は兄弟でヨット歴が長いベテラン選手。既に第3マークのブイに差し掛かり、追い上げ態勢に入っていた。しかし、波間にいるウィンター選手を発見。レースを中断して100メートルほどコースを戻り、ウィンター選手にロープを投げて助け上げた。救助艇に引き渡した後にスウェーデン艇はレースに復帰するものの、救助のロスタイムが影響し、無事にフィニッシュした13艇のうち12位と成績はふるわなかった。1位はニュージーランド、日本は13位だった。

     レース後、キエル兄弟は「救助するのが海の男の友情だと思った。当然のルールを守っただけだよ」。シーマンシップにあふれた爽やかなコメントを残した。この出来事は本紙で「人間愛の金メダル」の見出しとともに紹介され、大きな感動を与えた。

     無事救出されたウィンター選手は事故翌日早朝、感謝を伝えるためにヨットハーバーでキエル兄弟を待っていた。2人の姿を見つけると駆け寄り、そして固い握手を交わした。【関根浩一】

    関根浩一

    東京本社オリンピック・パラリンピック室委員。1985年入社。東京本社事業本部、千葉支局、成田支局、情報編成総センターなどを経て、2017年4月からオリンピック・パラリンピック室。サッカー観戦が趣味でこれまで多くの日本代表戦に足を運んでいる。最近はスコッチのソーダ割りを飲みながらボサノバを聴くのが楽しみ。