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東京へ ともに歩む

毎日新聞

錦織は度重なるけがを乗り越えて手首への負担を軽減。理にかなった動きでサーブの安定にもつながった=武蔵野の森総合スポーツプラザで2018年10月6日、玉城達郎撮影

Together

二人三脚で肉体改造 錦織のけが克服を支えたトレーナー

2017年8月に錦織圭がけがした右手首の部分を説明するトレーナーの中尾公一さん=東京都内で2019年3月5日午後4時11分、浅妻博之撮影

 東京五輪でメダル獲得が期待される男子テニスの錦織圭(29)=日清食品=は、何度もけがに泣かされてきた。そんな錦織がけがを乗り越え、世界トップ選手への道を歩んだ6年間を支えたトレーナーがいる。2013年からツアーに同行し、二人三脚で肉体改造に取り組んだ中尾公一トレーナー(44)だ。

     「手首、膝、足首、腹筋が痛い。痛みを何とかしてほしい」。13年シーズンの幕開けを告げるオーストラリアでのツアー中、中尾さんの元へ錦織から切実な訴えが届いた。

     身長178センチ、74キロの錦織は、大柄な外国勢との体格差を持ち前の俊敏性を生かしたフットワークの良さでカバーしてきた。相手の目線などでサーブのコースを読み、ショットのくせを見抜く判断力にも秀でており、常に先手、先手を奪う反応の速さを支えた。その運動量の多さゆえに、体への負担は大きかった。中尾さんは「当時から7カ所ぐらいは痛みを抱えていた」と振り返る。

     そんな満身創痍(そうい)の錦織の体をチェックしたところ、中尾さんは左右の筋肉バランスの悪さに気付き、骨盤の傾きや足首の硬さなどを治すことから始めた。

     世界各国を巡るテニスの年間ツアーは過酷だ。過去1年間のツアー成績が世界ランキングに反映されるため、選手は連戦を余儀なくされる。勝ち上がるほど疲労は蓄積され、体への負担は増す。14年の錦織の年間試合数は前年より10試合以上も増えた。故障を治しても、今度は別の部分に負担が掛かり新たな痛みが出た。

    リオデジャネイロ五輪の男子シングルスで銅メダルを獲得し、充実した表情を見せる錦織圭=リオデジャネイロの五輪テニスセンターで2016年8月14日、小川昌宏撮影

     しかし、その過程で痛みとの付き合い方を覚えたことも大きかった。中尾さんは「試合を重ねる中で、体のさばき方を理解した。『この痛みならば大丈夫』といった判断をできるようになった」と心の余裕を成長の証しとみている。

     14年の全米オープンでは、4大大会でアジア勢初の決勝進出を果たし、準優勝した。翌年には世界ランキングで自己最高の4位まで浮上した。16年のリオデジャネイロ五輪では日本勢として96年ぶりの表彰台となる銅メダルを手にするなど世界トップ選手の仲間入りを果たした。

     錦織は17年8月の練習でサーブを打った際に右手首を痛め、けんの脱臼や裂傷で全米オープンを含むシーズン後半の全試合を欠場した。それまで3週間以上も休んだ経験のなかった錦織にとって、最も長い離脱だった。それでも手術をせず、翌シーズンにはコートへ復帰。一時は30位台まで落ちた世界ランキングはすぐにトップ10へと返り咲いた。

     けがによる悪循環を断ち切るため、中尾さんはサーブを打つ際に肩で回すのではなく肘から前に出すように促し、手首への負担軽減を図った。肘を使う意識を持たせることで、結果的に課題だったサーブの安定にもつながった。「いろんなことを乗り越え、力強くなった1年だった」と錦織は語る。

     中尾さんは昨季限りで「チーム錦織」を離れた。「最後に笑うのは優勝した時だけ。勝ち切って最高の笑顔を見せてほしい」。4大大会の日本男子初制覇、東京五輪での金メダル。歴史を塗り替える歓喜の瞬間を待ち望んでいる。【浅妻博之】

    浅妻博之

    毎日新聞東京本社運動部。1982年、新潟市生まれ。スポーツ紙で校閲業務をして、2007年入社。山形支局、東京運動部、大阪運動部を経て、18年10月から東京運動部でテニス、バスケット、カヌーなどを担当。リオデジャネイロ五輪も現地取材して、テニス取材も全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の4大大会を制覇した。高麗人参エキスを毎朝飲んで、健康維持を目指す。