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東京へ ともに歩む

毎日新聞

体操の強化合宿で内村航平(右)と言葉を交わす佐藤寛朗さん=東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで2019年1月13日、佐々木順一撮影

Together

「ヒロしかいない」内村の専属コーチが育む信頼と距離感

体操界のエースである内村のコーチを務める佐藤寛朗さん。内村の仕草や表情、練習中の会話などから精神状態や疲労度を数値化し、練習の強度と合わせて毎日記録している=東京都北区で2019年3月12日、円谷美晶撮影

 2016年に日本初のプロ体操選手となった内村航平(30)=リンガーハット=を支えるのは、専属コーチの佐藤寛朗さん(30)だ。「(内村が)何も言わなくても考えていることが分かる」。家族とも友人とも違う強固な信頼関係を築き、日本体操界の絶対的なエースをサポートしている。

     2人の出会いは10歳の時。佐藤さんが所属していた朝日生命の合宿に、夏休み中の内村が参加した。1学年上の内村とはすぐに打ち解け、「航平」「ヒロ」と呼び合う仲になった。中学2年で全日本ジュニア個人総合2位などの実績を残した佐藤さんは五輪出場を目指したが、明大進学後は伸び悩んだ。13年11月の全日本団体選手権後に引退し、翌年からコーチングを学ぶためオーストラリアへ。語学学校に通いながら、ジュニア選手を指導した。

     16年夏。そんな佐藤さんの元に、一本の電話が掛かってきた。「プロになろうと思っている。コーチになってほしい」。リオデジャネイロ五輪で個人総合2連覇を達成した直後の内村からだった。「何かの間違いじゃないか」と戸惑った。オーストラリアでの生活が充実していたこともあり、引き受けるか悩んだ。

     心を動かしたのは、内村のまっすぐな言葉だった。何度目かの電話で、佐藤さんは「僕が断ったらどうしますか?」と尋ねた。返ってきた言葉は、「ヒロしかいないんだ」。素直にうれしかった。同年末に帰国し、内村と再会した。

    リオデジャネイロ五輪の体操男子個人総合決勝で2連覇を果たし、金メダルを手に笑顔を見せる内村航平。この後、佐藤寛朗さんとの二人三脚での挑戦がスタートした=リオデジャネイロのリオ五輪アリーナで2016年8月10日、小川昌宏撮影

     五輪と世界選手権の個人、団体、種目別で金メダル13個を含む計28個ものメダルを手にした内村が求めるコーチ像は、「信頼して何でも話せる相手」だった。会話をしながら練習し、演技構成は2人で相談しながら決める。同時に、選手とコーチは適度な距離感を保つことが重要だと考えた佐藤さんはコーチ就任時にけじめとして、「航平さん」と呼び方を変えた。

     日々の練習は内村と「2人きり」だ。長ければ一日6時間の練習後、一緒に夕食をとってから帰宅する。一日1食の内村がエネルギー不足にならないよう、練習の合間に佐藤さんはお手製のバナナ牛乳を差し入れる。今では朝に内村をひと目見れば、その日の調子が分かる。日々の基本練習を大切にする内村は、どんなに調子が悪くても妥協はしない。一回一回の練習を大事にするからこそ、思うようにできない日は空気がピリピリする。そんな時は、あえて少し離れて見守る。佐藤さん流の寄り添い方だ。

     内村は17年の世界選手権で足首を痛めて途中棄権し、08年から続く国内外の連勝記録が40で途切れた。その後は度々けがに悩まされた。18年は再び足首を痛め、世界選手権では個人総合を欠場。反省を胸に、佐藤さんは2年間欠かさずつけていた練習記録を見直し、けがのリスクが高まる状況を調べた。これまでは「練習の虫」の内村の意思を尊重してきたが、「一定の練習量を超えたら声をかけて休ませる」と誓った。2人で決めた今季の最重要目標は「けがをしないこと」だ。

     昨秋のリハビリ中は演技をできず、地味なトレーニングを繰り返した。最初はつらそうな内村の様子を見ているだけだったが、「一緒にやったらモチベーションも上がるんじゃないか」と、ともに汗を流した。自然と会話や笑顔が増えた。

     体操界の「キング」と評される内村は、東京五輪に「人生をかける」と公言する。集大成の挑戦を支える今、「本当に光栄なこと。航平さんや、そういう道を開いてくれた人みんなに感謝している」と語る。

     「僕が誰よりも応援している」。そう言い切る佐藤さんには、東京五輪で輝く内村の姿が見えている。【円谷美晶】

    円谷美晶

    毎日新聞東京本社運動部。1985年、東京都生まれ。2009年入社。北海道報道部、千葉支局を経て、東京社会部では気象庁や東京都庁を取材。18年から東京運動部で五輪取材班となり、体操、トライアスロンなどを担当。高校までの部活動は陸上で中・長距離の選手。いつも皇居周りを走っていた。