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毎日新聞

演技を前に父でコーチの弘靖さん(左)と笑顔で話す坂井丞=相模原市立総合水泳場で2019年3月2日午前11時54分、宮間俊樹撮影

Together

「誰にも代えられない」飛び込み坂井、親子鷹で目指す日本初の五輪表彰台

リオデジャネイロ五輪男子3メートル板飛び込みに出場した坂井丞=リオデジャネイロのマリア・レンク水泳センターで2016年8月15日、梅村直承撮影

 日本飛び込み界初の五輪メダル獲得に挑む親子がいる。板飛び込みを専門とする26歳の坂井丞(しょう)=ミキハウス=と、父でコーチの弘靖さん(57)だ。ジュニア時代から世界と渡り合ってきた坂井を弘靖さんは技術、精神面でサポートし続けてきた。【村上正】

     弘靖さんは佐賀県中央部に位置する江北町で生まれ育った。小学5年のころ、友人に誘われ飛び込みに触れたのをきっかけに競技人生をスタートさせた。1972年ミュンヘン五輪に出場した久保たえ子さんから指導を受け、全国高校総体で2位に入るなど国内のトップ選手として活躍した。

     84年ロサンゼルス五輪の日本代表選考会にも出場したが、その夢はかなわず24歳で現役引退した。小学生から大学生までを指導する神奈川ダイビングクラブのコーチに就き、日本体育大の同級生で、先に同クラブの指導者になっていた由美子さん(57)と結婚し、3人の子宝に恵まれた。

     坂井と姉妹の3人の遊び場はいつもプールサイドだった。坂井は自然と飛び込み台に立つようになった。全国各地の大会へ両親に付いていくのが「夏休みの旅行」だった。由美子さんからまず基礎を学び、小学生の全国大会に出るようになると弘靖さんに師事した。

     「プールも家も戦いの場だった」と弘靖さんは振り返る。恐怖心から飛べない日が続くと、自宅に帰っても選手とコーチの関係は続き、口をきかないこともしばしばあったという。坂井が小学6年のころに「サッカーがしたい」と漏らしたこともあったが、じっと我慢をして考えさせた。由美子さんの説得もあり、坂井は「飛び込みでしか味わえない楽しさがある」とトップを目指す覚悟を決めた。

     親子で追求してきたのは、真っすぐに飛び上がり、そのまま入水するという基本の徹底だった。弘靖さんは「基本の動きの中で宙返りをし入水すれば、全てがうまくいく」と言う。坂井は水しぶきを抑えた美しい入水技術を武器に頭角を現していった。世界選手権は高校2年の時の2009年大会で初出場し、13年大会で8位入賞した。

    練習に励む2歳の坂井丞(中央)と父弘靖さん(右)=1994年9月撮影、弘靖さん提供

     着実に世界への階段を駆け上がろうとする時、弘靖さんが病に襲われた。16年リオデジャネイロ五輪出場を懸けたシーズンの15年秋に十二指腸炎で入院を余儀なくされた。コーチ不在の中、坂井は16年2月のワールドカップで初の五輪出場を決め、家族を喜ばせた。

     だが夢見た五輪の舞台はほろ苦かった。屋外の競技会場で慣れない風に苦しみ、力を出し切れないまま予選落ちした。同行できず、自宅で結果を知った弘靖さんは「やっぱり一緒に行ってあげたかった」と悔やみ、そこからまた新たな4年間がスタートした。

     普段の練習メニューは坂井が考える。弘靖さんは飛び込む姿をタブレット端末で動画撮影し、助言を送る。取材中、弘靖さんは「自分がどこまで役に立っているか、分かりませんよ。聞いたこともないですから」とつぶやいた。練習を終えた坂井に、父であるコーチの存在について聞いた。「飛び板に立ち、父を見ると安心する。自分の性格や技術の特徴を一番分かっているのが父で、誰にも代えられない」と感謝を口にした。

     来年の夏、リオデジャネイロで果たせなかった親子そろっての五輪出場を果たし、表彰台を狙う。

    村上正

    毎日新聞東京本社運動部。1984年、神戸市生まれ。2007年入社。舞鶴支局、神戸支局を経て、大阪本社社会部では府警などを担当。東京運動部では17年4月から水泳やサーフィンを担当。16年リオデジャネイロ五輪を取材した感動から、長女に「リオ」と命名した。