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東京へ ともに歩む

毎日新聞

2018年度シーズン、イタリア1部のシエナで主力としてプレーした石川祐希(C)Emma Villas Volley

東京・わたし

バレー・石川祐希 実業団経ずにプロへ 異例の道で得たものとは?

東京五輪への熱い思いを語るバレーボール男子日本代表の石川祐希=東京都目黒区で2019年4月22日、梅村直承撮影

 2020年東京五輪へ向け、各競技で選手のプロ化が相次いでいます。実業団主体のバレーボールでも、男子日本代表のエース・石川祐希選手(23)が大学卒業後、実業団を経ずにプロになる異例の決断をしました。世界トップ選手が集まるイタリア1部リーグでのプロ1季目を終えた石川選手に、プロとしての覚悟や東京五輪への思いを聞きました。【聞き手・小林悠太】

     ――イタリア1部のシエナに所属したプロ1年目の18年度シーズン、チームは来季の2部降格が決まりましたが、ご自身は全試合に先発出場し、リーグ全体で12位の得点を挙げられました。

     ◆たくさん学ぶことがあり、考えることの多いシーズンでした。イタリア1部では学生時代にプレー経験がありましたが、シーズンの最初から最後までチームにいたのは初めてです。チームはイタリア、イラン、キューバなどさまざまな国籍の個性の強い選手の集まりでした。プロとしてはアピールしないと先につながりません。意見を言って、やりやすい環境を自分で作っていかないと生きていけないと改めて感じました。

     ――チームメートとコミュニケーションを取るために心がけたことは。

     ◆以前は、自分のことで精いっぱいで余裕がなく、他の選手に言われるがまま、「OK、OK」と返していました。今回はシーズンを通してチームにいたこともあり、徐々に自分のやりたいと思うことを伝えることができるようになりました。ただ、口論になっては意味がありません。相手をリスペクト(尊重)した上で伝えるように意識しました。

     例えば、相手サーブの直前、リベロが構えていた位置から勝手に左にステップしていました。こちらが知らない間に位置を変えられてしまうと、間が空いてしまいます。控え選手にも外から状況を確認してもらった上で、改善するために本人に「動かないでくれ」と伝えました。

     チームメートの信頼を勝ち取れるかどうかで、ボールを託してもらえるか、変わってきます。今回はシーズン後半になるにつれ、自分にトスが上がる数も増えてきました。

    世界トップになれる自信、明確に

    バレーボールの男子日本代表合宿で練習する石川祐希=東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで2019年5月10日、佐々木順一撮影

     ――18年春に大学卒業後、実業団に入らず、プロになる決断をしました。

     ◆大学3年の時、1年時に続いてイタリアでプレーしました。シーズン途中の加入でも、試合に少しずつ出られるようになりました。そこで「シーズンの最初から行ったらどうだろう」と考え、自然と気持ちが固まりました。プロの道に進みたいというより、海外のトップチームでプレーすることを目指した結果、プロという選択肢しかありませんでした。

     ――プロはリスクのある立場でもあります。

     ◆例えば、国内の実業団と「2年間、海外でプレー後、1年間は国内でプレーする」という契約になれば、2年間、海外のチームで活躍し、ステップアップできるチャンスを迎えても生かせません。制限を受けず、結果次第で上を目指せる立場を選びました。

     ――実際にプロとなり、意識の変化はありましたか。

     ◆もちろん変わりました。バレーは仕事であり、結果をシビアに考えるようになりました。自分次第で、その先の人生が変わってきます。また、たくさんの人に見ていただき、応援していただけるありがたさをさらに感じるようになりました。スポンサーなど多くの方の期待を背負っており、プロの責務を感じています。

     ――イタリアのチームメートら海外選手のプロ意識を見て、思うことはありますか。

     ◆けがをしそうな状況だったら、それ以上、プレーをしません。また、個人差はありますが、ケアやトレーニングに対する意識が高いと思います。

    イタリア1部のシエナで、さまざまな国籍の選手とプレーすることでたくましさを増した石川祐希(左から3人目)(C)Emma Villas Volley

     ――昨春は膝や腰など慢性化していた故障を治すため、日本代表への合流を遅らせ、約3カ月間、リハビリやトレーニングに専念しました。

     ◆日本協会側からは「やってくれ」と言われましたが、「それはできません」と答えました。代表の活動後には、プロ1年目のイタリアでのシーズンが控えていました。けがをした状態でのスタートは、プロとしてあってはならないことだと思いました。リハビリ期間、トレーナーにいろいろな体の使い方を教えてもらいました。体をひねる際も腰だけでなく、上半身全体を使うように教わりました。リハビリを選んだ、その決断のおかげで今があると思っています。

     イタリアでのシーズン中は、以前からやっていたストレッチに加え、器具を使ってのセルフマッサージも行うようになりました。毎日、1時間程度やっています。疲れていると、知らず知らずのうちに時間が短くなってしまう可能性があるので、必ずタイマーで計りながら一つ一つのストレッチをしています。

     ――イタリアで計4シーズン、プレーしてきました。ご自身で変化を感じる点は何ですか。

     ◆確実に成長しています。海外選手のスパイクやサーブのスピードに体が順応してきました。高いブロックにも慣れていっています。いいトスが上がった時のスパイクの決定率も高い数字を残せました。課題はトスが乱れた時の状況判断です。相手が嫌なところに返すことも一つの方法だと思っています。課題を克服していけば、もっとトップチームで戦えますし、世界のトップ選手になれる自信を明確に持てるようになってきました。

     ――現在の世界での立ち位置をどのように考えていますか。

     ◆(契約交渉する)イタリア人の代理人からも客観的に見てもらうことで、学生時代に全く分からなかった自分のいる位置が明確になってきました。イタリアの4強に入るチームで、ほぼスタメンで出られる選手のレベルになるまで、遠くないところまで来ていると思います。

     ――プロとして、多くの子どもたちにバレーの魅力を発信するためには。

    バレーボールの男子日本代表合宿で練習に励み、時折笑顔も見せる石川祐希=東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで2019年5月10日、佐々木順一撮影

     ◆イタリアの強いチームに入っても、発信力がなければ日本の方々に伝わりません。そこについては、日本代表で活躍することが一番の近道だと思っています。代表で活躍すれば、今、自分が海外のどのようなチームに所属しているかも関心を持ってもらえると思います。

     ――日本代表では東京五輪が大きな目標となります。

     ◆東京五輪は特別な舞台であり、そこに出場できることを幸せに感じます。ただ、幸せを感じるだけで終わることのないよう、メダルを取ります。そのためには、ワールドカップ(10月・日本各地)など今年の大会で結果を残さなければならないと危機感を持っています。近年、日本代表は負けが込んでいますが、トライしていかないと何も始まりません。東京五輪につなげていけるように、覚悟を持って今年の代表活動に取り組んでいきたいと思います。

    いしかわ・ゆうき

     愛知県岡崎市出身。一つ上の姉の影響で小学4年からバレーを始める。愛知・星城高で史上初の2年連続3冠に貢献した。中大時代から大学に籍を置いたまま、冬場はイタリア1部リーグのモデナ(1年時)、ラティーナ(3、4年時)でもプレー。18年春に中大を卒業し、日本の実業団に所属せず、プロ選手となることを選んだ。日本代表には大学1年で初選出され、15年のワールドカップで6位の原動力となったが、16年リオデジャネイロ五輪は予選で敗れて出場できなかった。

    小林悠太

    毎日新聞東京本社運動部。1983年、埼玉県生まれ。2006年入社。甲府支局、西部運動課を経て、16年から東京本社運動部。リオデジャネイロ五輪を現地取材した。バドミントン、陸上、バレーボールなどを担当。学生時代、184センチの身長を生かそうとバレーに熱中。幼稚園児の長男、次男とバレーのパスをするのが目下の夢。