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東京へ ともに歩む

毎日新聞

金子達仁さん=東京都千代田で、根岸基弘撮影

東京・わたし

スポーツライター・金子達仁さん「五輪きっかけにスポーツ強国としての日本がスタートほしい」

 スポーツニッポン新聞にコラムを連載中のスポーツライター、金子達仁さん(53)にサッカー・ワールドカップ(W杯)との比較を交え、2020年東京大会について聞きました。【聞き手・神崎修一】

    若い人の熱、不思議なぐらい伝わらない

     ――2020年の東京五輪開幕まで500日を切りました。

     ◆1966年生まれなので、前回の東京大会を知りません。だからその1年前の63年の東京がどんな雰囲気だったか全く知らないので、比較できないのですが、「熱がないな」と思います。おじさんたちが中心の企業は、五輪にお金を出す習慣があるのでしょうけど、若い人たちからは「オリンピックだ」という高まりが不思議なぐらい伝わってきませんね。(サッカーW杯日韓大会前年の)2001年は「W杯のことを知ったのはたった4年前でしょう」というぐらい盛り上がっていた。それに比べると随分と落ち着いていますね。日本人の気質が変わったからでしょうか。

     ――若い世代の盛り上がりが足りないと感じるのはなぜでしょうか?

     ◆(00年の)シドニー大会でスポーツニッポンの名誉支局長のような立場で現地に滞在して、その時に初めて「オリンピックって楽しい」と思いました。僕にとって、一番大事なスポーツイベントはサッカーW杯でしたし、(五輪は)興味のある競技をつまむだけで、他の世界大会と変わりませんでした。豪州に1カ月以上滞在して、「これは祭りだ。めちゃくちゃ楽しいわ」と感じました。僕も30代まで五輪の楽しさを知らなかったので、若い人たちもきっと同じだろうなと思いますね。

     ――五輪をお祭りと感じたのはどうしてですか?

     ◆サッカーW杯は1会場で1日1試合しか見られない。五輪は水泳を見たり、柔道を見たりと、いろいろな競技をその場でポンポンと観戦でき、縁日状態ですね。テレビで見るのと生で見るのも違います。だから東京大会が終わった後の21年は、その楽しさを知ってしまうから日本人の五輪熱が爆発すると思うのです。シドニーではサッカー以外も取材しました。印象に残るのは柔道の篠原信一さんの「大誤審」とされた(決勝で微妙な判定があり敗れた)試合です。(当時監督だった)山下泰裕さんが激怒しているところを目の当たりにしましたし、僕も感情的になりました。

     ――金子さんにとって記憶に残る大会はいつですか?

     ◆思い浮かぶのは(72年札幌冬季大会のスキー・ジャンプ)「日の丸飛行隊」ですよね。幼稚園の年長さんだったでしょうか。それでも記憶が強烈に残っています。ジャンプはあまり覚えていないのですが、表彰式のアナウンサーの興奮した口調や、祖父母が喜んでいたことを覚えています。あの頃は子どもがテレビを自由に見ることができなかった。でも五輪だけは時間に制限なく見せてもらえたのをなんとなく覚えていますね。

     ――学生時代は五輪を見ていましたか?

     ◆興味はサッカーでしたね。五輪なんて大したことはない、サッカーW杯の方が五輪よりも盛り上がっているのだぞというのを声高に訴えていました。20歳だった86年にメキシコW杯へ行きました。アルバイトをして120万円ためて、出版社が企画したツアーで開幕戦から決勝まで現地で観戦しました。1次リーグは毎日試合を見ました。デンマークやウルグアイ、メキシコ、そして(優勝した)アルゼンチンの試合は全部見ました。最後は帰りたくないと号泣しました。一方で五輪にはまったく興味がありませんでした。サッカーが五輪に出られていなかったというのも大きかったですね。

     ――専門誌記者を経て95年からフリーで活動されています。96年アトランタ大会のサッカー代表を書いた記事が反響を呼び、それをまとめた書籍「28年目のハーフタイム」(文芸春秋社)が大ヒットしました。

    アトランタ五輪の日本対ブラジル戦で、伊東輝悦(8番)の先制ゴールを喜び合う日本イレブン=米フロリダ州マイアミのオレンジボウルで1996年7月21日、平野幸久撮影

     ◆(マイアミなどで)サッカーを3試合見ただけで、実は(メイン会場の)アトランタには行っていません。GKの川口能活(よしかつ)君を中学生の頃から取材していました。「サッカーダイジェスト」のライター時代です。レベルは低かったですが僕もGKでした。取材に行ったら、能活がすぐに心を開いてくれました。初めて卵を割って外の世界に出た時に、そこにいたライターがたまたま僕だった。その能活が(初戦の)ブラジル戦で神がかったセーブを連発しました。(時の人となった)能活のコメントが取れる、記事が書けるライターがいないかと雑誌「Number(ナンバー)」の編集部(文芸春秋社)が探していたところ、僕の名前が挙がったそうです。短い1ページの記事でしたが、中学時代から取材していたアドバンテージがありました。チームが日本に帰ってきた後も、能活を独占インタビューしました。その後、他の選手たちにも話を聞き、それらの記事が一冊の本になりました。

     ――ブラジル戦での勝利は「マイアミの奇跡」と語り継がれています。アトランタ五輪の男子代表チームはどんな存在ですか。

     ◆日本のサッカーを救ったチームです。Jリーグ発足が93年で、僕が会社を辞めてスペインに留学したのが95年です。その時点ではっきりとサッカー界には陰りが出ていました。「サッカーブームが終わろうとしているのに」と周りからさんざん言われました。94年にはカズ(三浦知良選手)がイタリアのジェノアに移籍し、結果を出せずに日本に帰ってきました。(野球の)野茂英雄投手が米大リーグで活躍した一方で「カズでも駄目なら、日本サッカーは駄目だ」という雰囲気がありました。それを全部ひっくり返したのがあのチームです。(この勝利がなければ)ひょっとしたら日本サッカーは滅びていたかもしれません。

    「日本人だから勝てない」という壁を壊したリオ五輪400mリレー

     ――最近の五輪で印象に残る場面はありましたか?

     ◆(16年の)リオ大会400メートルリレーです。日本サッカーが、世界どころかアジアでも勝てなかった頃、理由を僕は「日本人であること」に見いだしていました。日本人だから勝てない。運動能力が劣るから勝てない。日本人であることをエクスキューズ(言い訳)にして勝てないことを慰めていました。陸上でも日本人は絶対に100メートルを9秒台では走れないという思い込みもありました。しかしこのリレーチームが壊してくれました。

     ――見えない壁を壊したということでしょうか?

     ◆前回の東京大会では、女子バレーボールの「東洋の魔女」が世界一になりました。(8年後の)ミュンヘン大会で男子チームが続いた。男子と比べると、当時の女子バレーは圧倒的にマイナーだったと思います。それでも女子が世界一になったことが、その後の男子の力になった。サッカーでも11年に女子の「なでしこ」が世界一になり、(サッカーで勝てないという)根幹を壊してくれました。男子サッカーも世界一になるだろうと期待しています。

     ――20年の東京五輪では日本選手が活躍できると思いますか?

     ◆運、不運はあると思いますし、東京での勝ち負けに一喜一憂する必要はありません。ただ、東京大会をきっかけにして、「スポーツ強国としての日本」のスタートになってほしい。そして「スポーツパラダイス」になってほしいです。そうすれば間違いなく、24年パリ大会以降も強い日本が見られるようになっていくと思います。

     ――金子さんの言う「パラダイス」とはどのような意味ですか?

     ◆スポーツ大国という言葉からはかつての共産圏がイメージされてしまいます。スポーツはゲームで、本来は楽しいからプレーするものです。日本は残念ながらスポーツを体育と翻訳してしまったために、富国強兵の材料として使われてしまった歴史があります。ゲームの部分が著しくそぎ落とされてしまったのです。だからスポーツに苦行としての意味合いを求めがちだし、必ず教育を絡めたがります。そうではなく、芝生のグラウンドでサッカーをやりたいなと思った時にプレーできる。ボルダリングをやってみたいなと思ったらすぐにできる。やりたい人がやりたい時にスポーツができる環境が整備されることが「パラダイス」です。

     ――メイン会場として建設中の新国立競技場は年内に完成します。

     ◆評価しているのは、大会が終わった後にフットボール専用に変えるということ。ただ、(国際会議などの)「MICE(マイス)」を意識しないでつくったスタジアムはどうなのかなという思いはあります。サッカーやラグビーの試合でしか稼働しないようであれば赤字確定です。(イングランドでサッカーの聖地とされる)ウェンブリースタジアムはライブの時の音響まで計算して、建設されています。サッカーがない時でも埋まります。複合型のスタジアムにしないとペイできないですよね。

     ――ビジネスの視点が欠けているということでしょうか?

     ◆93年当時のJリーグと(イングランドの)プレミアリーグの市場規模は同じぐらいでした。サッカーをやっていた人たちだけの日本に対し、プレミアリーグはお金をもうけるプロが入ってきた。そのため市場規模が今では1対100以上の差になってしまいました。日本はGDP(国内総生産)世界3位の国です。日本のスポーツ界はもっと「伸びしろ」があります。そのきっかけに今回の東京大会がなってほしい。勝つにはお金と時間がかかります。東京大会で勝つことの喜びを知ることになり、勝つために環境の整備を進めようとなるはずです。

    マイナー競技、応援したい

    金子達仁さん=東京都千代田で、根岸基弘撮影

     ――東京大会で期待する選手や競技はありますか?

     ◆サッカー畑なので、男女サッカーで金メダルを見たいですね。どの国も達成していないことをやってほしい。チャンスはあると思います。

     ――サッカーで金メダルを獲得するカギはどこにありますか?

     ◆試合をたくさんやることではないでしょうか。代表チームは寄せ集めの宿命がありますが、五輪代表はなおさらです。(オーバーエージ枠を除くと)年齢制限があり、選手が卒業してしまうわけです。長谷部(誠)君のように10年間日本代表でやってきた選手が、チームを仕切ることができない。だから試合数をこなして、チームを熟成させる利点や効果は大きいはずです。

     ――サッカー以外で注目競技を挙げるとすれば?

     ◆サッカーがマイナーだった時代を経験しているので、五輪をきっかけに競技の認知度を上げようと、必死になっているマイナー競技を応援したいです。どんな競技でも驚きが待っています。そしてスポーツを楽しく見る最高のスパイスは、肩入れして応援することです。日本選手がたくさん出場する地元での開催は、ファンを獲得する大チャンスです。競技人口が増えれば、施設も新しくできる。トップアスリートではない人たちもその競技に触れる機会が増える。五輪の正式種目になったボルダリング(スポーツクライミング)は、楽しむ人たちがすごい勢いで増えています。誰でも体験できる環境が比較にならならないレベルで実現しつつあります。

     ――パラリンピックへの期待はありますか?

     ◆パラリンピアンが快適に過ごせる環境というのは、誰もが快適に過ごせる環境ということです。選手たちが東京のどういうところでストレスを感じるか。センサーを敏感にして聞いてほしいです。

     ――東京大会は多くの競技を観戦できる貴重な機会になりそうです。

     ◆興味の種がまかれてほしいです。人気競技のチケットは高いですが、3000~4000円で見られる競技はあります。チケットが手に入りやすい競技を手当たり次第に見るのも楽しいと思います。チケットの値段は関係ありません。どのような競技でも世界一が決まる瞬間は特別な空気があります。競技のルールが分からなくても楽しめます。会場に行かなければ損だと思いますよ。

    かねこ・たつひと

     スポーツライター。1966年横浜市生まれ。法政大卒業後、日本スポーツ企画出版社に入社。サッカー専門誌「サッカーダイジェスト」の編集部などを経て、95年フリーに。96年アトランタ五輪のサッカー日本代表を取材した「28年目のハーフタイム」(文芸春秋社)がベストセラーになった。著書にパラリンピック3大会出場の陸上女子走り幅跳び、中西麻耶選手に迫った「ラスト・ワン」(日本実業出版社)など。ラジオパーソナリティーとしても活躍している。

    神崎修一

    かんざき・しゅういち。1978年神奈川県生まれ。早大卒。2004年毎日新聞入社。長野支局、青森支局を経て、東京本社・西部本社(福岡)で経済部。百貨店、コンビニ、銀行、鉄道会社などを担当した。2018年4月よりオリンピック・パラリンピック室。学生時代はサッカー部だったが、現在は見る専門。