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東京へ ともに歩む

毎日新聞

初挑戦のタイでバレーの楽しさを再確認できたという奥村麻依(右から2人目)=本人提供

Passion

バレー女子代表・奥村 初海外挑戦のタイで新たな発見

 2020年東京五輪へ向け、18~19年シーズンに、バレーボール女子日本代表が相次いで海外リーグに挑戦した。中でも大きな経験を積んだのがタイの強豪、ナコンラチャシマへ移籍したミドルブロッカーの奥村麻依(28)だ。「今までの人生で一番楽しくバレーができた。タイで学んだことを代表で生かしたい」と充実した表情で話す。

     日本選手の多くは経験を積む場所に欧州リーグを選ぶことが多い。身長177センチの奥村はミドルブロッカーとしては小柄で、長身の選手の多い欧州リーグでは厳しいと考えた。タイのリーグは身長が同程度の選手が多く、コンビネーション攻撃が主流で、「動き回って点を取っている印象で、学べることがいろいろあると思った」と語る。

     タイで昨年10月末から約5カ月過ごし、主力としてリーグ戦優勝に貢献した。以前はスパイク時に腕に力が入りすぎていたが、一緒に練習していくと「脱力した方が速く動かせる」と気づき、コツをつかみ始めた。同僚が得意とする「一人時間差」を見て学び、終盤には試合で使えるようになった。「速さを磨きつつ、攻撃の幅も広げたい。理想像が明確になってきた」と声を弾ませる。

    タイで原点思い出す

    タイのナコンラチャシマで笑顔でプレーする奥村麻依(左)=本人提供

     海外移籍のもう一つの理由は気分転換だった。17~18年シーズン、JTで初めて主将を任された。チームを引っ張らなくてはと自らに重圧をかけ過ぎた結果、「しんどい。続けたくない」と引退を考える時期もあった。18年3月、Vリーグ決勝で惨敗すると、吹っ切れた。改めて自分が足りていないことを見つめ直す機会を求めるようになった。同じころにJTで以前、同僚だったタイ代表のオヌマーから「短期間の大会限定の助っ人で来てくれないか」と連絡を受けたことがきっかけで本格的な海外移籍を検討し、チームにも快諾された。

     山口県出身で、山口・誠英高、嘉悦大、JTと国内の名門を渡り歩いてきた奥村にとって、タイでは驚く経験が多かった。練習は暑い日中を避け、朝にトレーニング、夕方にボール練習を各2時間程度と少なめだった。日中は、同僚と食事やマッサージに行って過ごした。車で3~4時間かかる首都バンコクの試合会場には各自の車で集まった。当日に練習時間の連絡が来ることもあり、試合日も変更された。全てがきっちりとしている日本のバレー界とは対照的だった。「ここまで自由なのかと驚き、性格がおおらかになった」と笑顔で振り返る。

     タイ語も英語も一切話せない。渡ってしばらくたってから急に心細さを感じ、2日ほど自室で泣いたこともあった。しかし、チームメートは全員、仲良く、笑顔があふれていた。身ぶりでも意思をくみ取ってくれ、旅行に行ったり、自宅に招いたりしてくれた。「タイの日々を振り返ると、楽しいことばかり」と話す。明るく前向きにバレーに取り組む原点を思い出すことができた。

     国内主要大会で個人賞を何度も獲得し、若くから日本代表候補に名を連ねていたが、その後は足踏みし、代表定着は17年になってからだった。昨年は日本各地で開かれた世界選手権でレギュラーを務め、6位に貢献した。「慎重で、先々の大きな目標まで考えると気が張ってしまう」という性格ゆえに、「東京五輪は大きな舞台だからこそ、そこまでの一日一日をしっかり過ごしていきたい」と淡々と話す。タイで心身とも一回り成長した奥村が、日本の課題といわれ続けるミドルブロッカーで存在感を示すことができれば、日本代表が東京五輪のメダルに近づく。【小林悠太】

    小林悠太

    毎日新聞東京本社運動部。1983年、埼玉県生まれ。2006年入社。甲府支局、西部運動課を経て、16年から東京本社運動部。リオデジャネイロ五輪を現地取材した。バドミントン、陸上、バレーボールなどを担当。学生時代、184センチの身長を生かそうとバレーに熱中。幼稚園児の長男、次男とバレーのパスをするのが目下の夢。