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東京へ ともに歩む

毎日新聞

日本選手権の女子200メートルバタフライ決勝を制した長谷川涼香=東京辰巳国際水泳場で2019年4月6日午後5時8分、梅村直承撮影

Together

二人三脚で不振脱出目指す 競泳の長谷川涼香と父・滋さん

 2016年リオデジャネイロ五輪に出場して以降、不振に苦しんでいた競泳女子の長谷川涼香(19)が、世界選手権(7月・韓国)の日本代表入りを決め、輝きを取り戻し始めた。手を差しのべたのは所属のフィットネスクラブ東京ドーム(東京都文京区)で競泳の指導者を務める父の滋さん(51)だった。昨秋から涼香と7年ぶりにタッグを組み、泳ぎを徹底的に見直してきた。【村上正】

    名前の由来にもなった名馬・サイレンススズカのぬいぐるみにまたがる2歳の時の長谷川涼香=父滋さん提供

     滋さんは文京区に生まれ、小学3年の頃、母親に「何か習い事を始めたい」と懇願した。最初に行ったのが絵画教室だった。5月にこいのぼりの下書きをしたが「自分には合わなかった」。その次が新聞の折り込みチラシに入っていたスイミングクラブだった。持ち前の運動神経の良さで4泳法をマスターし、個人メドレーを専門とした。

     ただ全国大会とは無縁だった。「どの種目もそれなりには泳げたが、トップにはなれなかった」と振り返る。都立城北高(閉校)では野球部にも入部し、2年の夏前までは水泳と両立したが、最後は野球に専念した。清原和博さんと桑田真澄さんの「KKコンビ」を擁した大阪・PL学園高が全国を制した1985年の夏。滋さんは東東京大会に「1番・サード」で出場して初戦で敗れ、最後の夏を静かに終えた。

     幼い頃からプラモデルが好きだったことから卒業後は建築の道を歩もうと専門学校に通った。そこでスイミングクラブの恩師らに進学の報告に行った際、「コーチをやらないか」と勧められた。以前から指導者に興味があったことから二つ返事で引き受けた。学生のアルバイトとして始めたつもりが、「面白くなってしまった」と専門学校を退学し、本業とした。

    スキーを楽しむ5歳の時の長谷川涼香(右)と父の滋さん。時にはプールを離れてリフレッシュした=滋さん提供

     滋さんは同じクラブで指導していた、かおりさん(41)と結婚。長女の涼香には英才教育を施してきた。1歳になる前から風呂に潜らせ、息を止める訓練をさせた。涼香は物心が付いた頃には水への恐怖心はなくなっていた。滋さんとかおりさんのいるクラブで3歳から水泳を始めた時には、既に蹴伸びができていたほどだった。滋さんは涼香を厳しく指導した。「家ではパパ、プールでは長谷川先生と全く関係性が違った。気がついた時にはそれが当たり前になっていた」と涼香は振り返る。

     拠点としていたクラブは涼香が小学6年を迎えようとしていた頃に閉鎖となった。それをきっかけに滋さんは涼香と共に現在のクラブに移った。涼香は頭角を現し、年代別の全国大会で優勝するまでになった。中学生になると、高校生、大学生に交じって練習するようになり、ジュニアの指導を専門とする滋さんの手を離れた。

     その後も涼香はめきめきと力を付けていった。高校2年で迎えたリオ五輪の選考会で女子200メートルバタフライで星奈津美に次ぐ2位に入り、初の五輪切符を手にした。さらにリオ五輪直前の東京都国体代表選考会で2分6秒00の高校新をマークした。勢いに乗ってリオ五輪に向かい、さらなる自己記録更新を目指したが準決勝で敗退した。

    涼香と積み重ねてきたトレーニングについて語る長谷川滋さん=東京都内で2019年5月20日午後1時12分、村上正撮影

     12年ロンドン五輪に続き銅メダルを獲得した星はリオ五輪後に引退した。後継者として期待されてきたが、タイムは伸び悩んだ。特に昨季は後半に加速する本来の泳ぎが崩れ、自己記録から2秒以上遅れて2分8秒台の平凡なタイムが続いた。納得の泳ぎにはほど遠く、自宅に帰ってからは涙を流す日々が続いた。

     「一度、コーチを代わってみないですか」。昨年10月、中学時代から涼香を指導してきた飯塚正雄コーチ(51)から滋さんに打診があった。スランプを抜けるために環境を変えることを勧められた。滋さんにはトップ選手への指導歴はなかった。「いくら娘とはいえ、トップレベルの選手を教える力量まであるのか」とためらった。「一緒にやってみよう」。先に決断したのは涼香の方だった。

     滋さんは1週間悩んだ末、ジュニア指導との掛け持ちができるのであればと承諾した。涼香には「本当にいいのか。教えられるかどうか分からないぞ」と念を押したが、「大丈夫。心配しないで」と涼香に背中を押された。

     スランプの出口を探る二人三脚の取り組みが始まった。まずはフォームの改良に励んだ。滋さんが着目したのは、足ひれ(フィン)を装着して泳ぐフィンスイミングだった。大きなフィンを使って泳ぐためには、体を大きくうねらせる必要があり、その動きはバタフライに通じるものがあると考えた。

     実際に日本代表のフィンスイマーをプールに招き、泳ぎを観察した。膝から下で蹴るのではなく、体全体を使って激しく上下動し推進力を得ていた。そこでシュノーケルを付けてドルフィンキックを蹴り続け、体の使い方を習得していった。

     成果は世界選手権の代表選考会を兼ねた4月の日本選手権で表れた。派遣標準記録を突破する2分7秒44で2年ぶり2回目の優勝を果たし、代表入りした。

     当初は滋さんの指導はひとまず今秋の国体までとしていたが、クラブ内では世界選手権の結果次第では来年の東京五輪までの延長も検討されている。滋さんは「ここまでできた。あとは努力次第で結果はついてくるはず」と手応えを口にする。涼香も「世界選手権で結果を出し、長谷川コーチと続けていきたい」と表情は明るい。父と娘の歩む道に光が差してきた。

    ジャパンオープンの女子200メートルバタフライ決勝を制して表彰式で笑顔を見せる長谷川涼香(中央)と、2位の牧野紘子(左)、3位の大橋悠依=東京辰巳国際水泳場で2019年6月1日、宮武祐希撮影

    村上正

    毎日新聞東京本社運動部。1984年、神戸市生まれ。2007年入社。舞鶴支局、神戸支局を経て、大阪本社社会部では府警などを担当。東京運動部では17年4月から水泳やサーフィンを担当。16年リオデジャネイロ五輪を取材した感動から、長女に「リオ」と命名した。