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毎日新聞

渡辺勇大(左端)と遠藤大由(左から2人目)に助言する早川賢一コーチ=東京都渋谷区の代々木第2体育館で2017年2月12日午前11時9分、小林悠太撮影

Passion

バド代表最年長の遠藤と早川コーチ 元最強ペアの絆

 バドミントンの世界選手権(スイス・8月19~25日)に出場する日本代表で最年長は、長年にわたり男子ダブルスをけん引してきた遠藤大由(32)=日本ユニシス=だ。10歳年の離れた渡辺勇大(22)=同=とともに、2016年リオデジャネイロ五輪までのパートナー、早川賢一・日本ユニシスコーチ(33)のサポートを受け、世界への挑戦を続けている。【小林悠太】

2016年リオデジャネイロ五輪の準々決勝でプレーする遠藤大由(奥)、早川賢一組=リオデジャネイロのリオ中央体育館で2016年8月15日、小川昌宏撮影

 早川コーチと遠藤のペアは日本男子ダブルス史上最強だった。堅守を武器に、全英オープンで3度の準優勝を果たし、15年世界選手権で銅メダルを獲得した。集大成で迎えるはずだった16年リオ五輪。1次リーグで中国とインドネシアの強敵に連勝し、金メダルも視野に入る勢いだったが、3戦目の試合前の練習で早川がぎっくり腰を発症した。決勝トーナメント初戦の準々決勝で格下の英国ペアに敗れた。

 リオ五輪から帰国し、16年9月のジャパン・オープン前の合宿中、遠藤は部屋でパートナーから引退を告げられた。「おれは辞める。でも、ヒロ(遠藤)は続けた方がいいんじゃないか。『もっとできたのに』と思うなら続けてほしい」。遠藤自身は、早川コーチの故障があってもリオ五輪で完全燃焼できたと思っていた。もともと、同学年で小学生から競い合っていた仲の早川コーチとペアを解消する時が引退と決めていた。しかし、パートナーの一言に心が揺らいだ。

 所属チームには、15年世界ジュニア3位の有望株、渡辺もいた。ジャパン・オープン後、遠藤は渡辺から直接、ペアを組んでほしいと言われたという。引退後、所属チームの指導者への転身が決まった早川コーチも「ヒロが選手として伝えられることがある」と2人のペアを望んだ。引退するか決められないまま迎えた16年11月のS/Jリーグ開幕戦、渡辺とのペアで臨んだ遠藤は緊張している自分に驚いた。「まだ勝ちたい気持ちがある」。新ペアでの現役続行を決めた。

 選手とコーチという関係で再び世界を目指し始めた。早川コーチは「成績を残せなければ、すぐに辞めないといけない年齢。ヒロが途中で辞めてもいいように、(渡辺)勇大のいいところは消さないようにやろう」と話した。早川、遠藤組では前衛が早川、後衛が遠藤という形が基本だったが、動きの速い渡辺の持ち味を生かせるよう、前後を固定せずに動き回るスタイルになった。遠藤も「ペアが変われば、新しいプレースタイルになる」と積極的に前衛の動きの習得に取り組んでいる。18年6月までは世界ランク30位前後だったが、同年10月以降はトップ10を維持し、現在は5位につける。

 日本代表は年間約250日の遠征や合宿を行う。B代表のコーチも兼務し、常に同行できるわけではない早川コーチは、試合の映像を代表のスタッフからもらったり、インターネットで見たりしながら助言する。遠藤は「10のうち、1を言うだけでお互いに一瞬で相手の考えを理解できる。ラリーとラリーの短い間でもやりとりしやすい」と感謝する。

 家族ぐるみの付き合いで「選手時代と関係性は変わらない」と口をそろえる。呼び名も「ヒロ」と「賢一」のまま。早川は「コーチという肩書を抜きに言えば、元パートナーに一番頑張ってほしい。自分とのペアで達成できなかったことを達成しているところを見たい」と期待を寄せる。

えんどう・ひろゆき

 埼玉県出身。日体大を経て、2009年に日本ユニシス入社。10年から同期の早川賢一とペアを組み、13、14、16年の全英オープンで準優勝。16年9月のジャパン・オープンを最後に早川とのペアを解消。以降は渡辺勇大とペアを組み、17年全日本総合選手権優勝、18年ワールドツアー・ファイナル準優勝。172センチ。右利き。