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東京へ ともに歩む

毎日新聞

元ボクシング世界王者の具志堅用高氏=東京都杉並区で、玉城達郎撮影

東京・わたし

ボクシング元世界王者・具志堅用高さん 今も残るオリンピック出場の夢

 世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級元王者で、引退後はタレントとして活躍する具志堅用高さん(64)。強烈な左ストレートで世界王座13回連続防衛の偉業を成し遂げるも、プロ入り前の高校時代の夢はオリンピック出場だったと言います。今もその思いは残っているのでしょうか? 「ちょっちゅね」、冗談めかして語りました。【聞き手・柳沢亮】

    WBAライトフライ級タイトルマッチ。対戦相手をコーナーに追いつめ、ラッシュする具志堅さん=北九州市総合体育館で、1979年7月29日撮影

     --東京2020大会で、ボクシングはリオデジャネイロ・オリンピックでの統括団体による判定不正疑惑や、運営の不透明性などで除外の危機にありましたが、ようやく実施される見通しとなりました。

     ◆(実施は)よかったよね。ボクシングは日本で人気だから。ファンが大勢いる中で試合を見せることができるのはすばらしいね。

     --ボクシング界での不祥事についてどう感じますか。日本ボクシング連盟の山根明前会長の出身連盟である奈良県の選手らに、試合で有利な判定となる疑惑の「奈良判定」もありました。

     ◆関係者や観客が見ている中での採点だから、やっぱりおかしい判定はわかっちゃうよね。絶対に(不正は)なくさないといけない。「奈良判定」は実際に日本で起きているので、世界で起きてもおかしくない。選手は当然、周りの人たちもわかる。それがオリンピックで起きたら大問題ですよ。まずはレフェリーの教育を徹底しないといけない。そして、世界に放映される東京オリンピックはしっかりした採点だったと思われるようにすべきだと思うよ。審判の問題は、ボクシングに限らずスポーツ全体の問題ですよ。

     --期待する選手はいますか。

     ◆井上尚弥選手が出場したとしたらおもしろいよね。アマチュアの短い試合でも強いと思う。ボクシング以外では空手の喜友名諒選手。彼の上をいく人は見当たらないと思う。沖縄発祥の空手は、盛んでね、ボクシングの練習の一環で空手を取り入れたこともあるほどですよ。

     --東京1964大会の思い出はありますか。

     ◆よく覚えているよ。9歳だった。家に白黒テレビがきたからね。当時はNHKしか映りませんでした。(マラソンで史上初の連覇を果たした)アベベ・ビキラ選手は強かったね。俺も走るのが好きで、駆けっこはいつも1番だったから注目した。あとは重量挙げ金メダルの三宅義信選手。強かったね。沖縄県で聖火ランナーが走ったことは全く覚えていない。当時、石垣島には来なかったでしょ。

     --その頃はどんな暮らしをしていましたか。

     ◆自給自足の生活でしたね。実家でニンジンやトマトを育て、豚やアヒルも飼っていた。自動販売機がない時代で、下校時にはサトウキビをかじった。パイナップルやスイカ、グアバも農道にたくさんあってさ。7~8月にかけて熟して、取って食べるとおいしいんだ。中学生では夏休みにパイナップルの収穫アルバイトをした。本土復帰より前だから、ドルの時代ですよ。1日で25セントくらいもらって、映画「網走番外地」を見た覚えがある。親父はカツオの一本釣りの船長をしていた。実家の目の前が海だったから、俺も魚釣りをして夕飯のおかずにしたよ。中学生では野球部に入りました。

     --ボクシングは高校からだそうですね。

     ◆石垣島の高校への入試に落ちて、中学校の先生が本土の私立(興南高校)を勧めてくれた。最初は野球部に入りたかったけど、体が小さかったから入部を断られた。1年生の2学期に、クラスメートにボクシング部の練習の見学に誘われた。それまでボクシングの試合を見たこともなかったけど、体格別で対戦することがわかって、やってみようかなと。「人を殴るな」と育ててくれた母親には内緒で始めたけれど、試合結果が新聞に載ってばれちゃったよ。だけど、今思い返せば人生が変わった経験だったね。

     石垣島で根性を鍛えていたから厳しい練習は耐えられたけれど、初めてパンチをもらったときはふらふらしたり、目の前で星がちらちら見えたり、とても痛い。部活をやめたいと思ったことは何度もありましたよ。

     --オリンピックが夢だったのはいつからですか。

     ◆3年生の高校総体で優勝したときから。ゆくゆくはオリンピックに行けるんじゃないかって思った。高校は沖縄県の代表だけど、オリンピックは日本の代表。すごい憧れたね。入場行進に派手さもあった。日の丸のユニホームも憧れたね。高校総体はジャージーに漢字で「沖縄」と書いてあるだけだったから。拓殖大に推薦入学し、オリンピックを目指す予定でした。

    インタビューに答える元ボクシング世界王者の具志堅用高氏=東京都杉並区で、玉城達郎撮影

     --しかし、大学には入らず、プロに転向しましたね。

     ◆上京のために羽田空港に着いて、そのまま協栄ジムにスカウトされて。モスクワ1980大会を目指して大学に入る予定だった。結果的に日本はモスクワをボイコットしました。これも巡り合わせだね。もしアマチュアのまま、オリンピックを目指していたら、出場できなかったわけですから。運命かもしれないね。その頃には俺は12回目の防衛をしていた。

     --今でもオリンピックに出場したいという気持ちは残っていますか。

     ◆ちょっちゅね。

     --プロの生活はどうでしたか。

     ◆東京・飯田橋のとんかつ屋「ひろかわ」でアルバイトしながらの生活は楽じゃなかったね。午前6~7時ごろから1時間のロードワークで一日が始まる。皇居周りや、北の丸公園を走った。その後のバイトはテーブル拭き、床の掃除、弁当箱や皿を洗う。手を切ったら大変だから包丁を持つことはなかったね。翌日の練習や試合に響くからぜいたくな生活はしなかった。遅くとも午後11時には寝た。食事の管理を含めて、試合に勝つ前に自分に勝たなくちゃいけないスポーツなんですよ。誰も助けてくれない。テレビを見る時間もないですよ。店主は剣道の選手だったから、ボクシングに集中できる環境を整えてくれた。5回目の防衛までお世話になったね。

     --ボクシングをはじめ、スポーツの魅力はどこにありますか。

     ◆観客に感動を与えるところがすばらしいと思う。それは選手が目標に向かって努力をしているからでしょう。練習から中途半端では世界の舞台に立てません。だから感動するし、面白いですよ。

    WBAライトフライ級タイトルマッチでチャンピオンのファン・グスマン(ドミニカ共和国)に七回KO勝ちし、世界王者となった具志堅さん=甲府市の山梨学院大体育館で、1976年10月10日撮影

     --印象に残るオリンピックはありますか。

     ◆長野1998冬季大会のスキージャンプ団体の金メダル。俺はスポーツ全般、誰からも誘われないから現地で見てないですが、元気をもらった。普段、テレビの前で「ああやれば良かった」「こうすれば良かった」と一人で興奮しながら見るんですよ。だから、東京2020オリンピックはボクシング会場は行くかもしれないけど、それ以外は夏休みをもらって一人でテレビの前で見たいね。

     --パラリンピックはどうでしょう。

     ◆3月に沖縄県糸満市であった「いとまん平和トリムマラソン」にスターターとして参加して車いすマラソンを見ましたが、パラスポーツもオリンピックと同じ。毎日の努力の積み重ねが大事で、選手から「自分に負けない気持ち」を感じる。頑張れよ、と激励したよ。そして、選手を支える家族、関係者、ファンが一緒に戦っているみたいで感動した。

     --具志堅さんの今後の目標は。

     ◆白井・具志堅スポーツジムから世界チャンピオンを出したい。若い子が頑張っているから夢を見たい。私生活ではおいしいものを食べて、ゴルフを楽しむ。賭け事は競馬だけ。テレビ番組のロケは全国を回るので、現地の温泉や魚などのグルメを楽しみたいね。

     --お酒は。

     ◆ちょっちゅね。

    ぐしけん・ようこう

     1955年6月生まれ、沖縄県石垣市出身。ボクシングWBAライトフライ級元王者。興南高校を卒業後74年5月にプロデビュー。76年、プロ9戦目で世界王者となった。プロ初黒星を喫して引退する81年までに13回連続防衛を記録。プロ通算24戦23勝(15KO)1敗。現役時代の愛称は「カンムリワシ」。2015年に国際ボクシング殿堂入りした。現在は95年に設立した白井・具志堅スポーツジム会長として指導にあたる傍ら、タレントとしてテレビ番組などに出演している。

    柳沢亮

    毎日新聞オリンピック・パラリンピック室員。1990年埼玉県生まれ。2013年入社後、新潟支局、東京経済部を経て19年5月から現職。高校時代は野球部に所属し、本塁打数は通算1本(非公式)。草野球の試合にいつ呼ばれてもいいように定期的にグラブを磨いているが、いまだ出番はない。最近の楽しみは、相思相愛の長男(1)と近所の児童館で遊ぶこと。