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東京へ ともに歩む

毎日新聞

コンビネーションの良さは他のペアの追随を許さない高橋礼華(左)と松友美佐紀=駒沢オリンピック公園総合運動場体育館で2018年12月1日、喜屋武真之介撮影

Passion

リオ金・タカマツペア 引退葛藤から五輪連覇へ 覚悟決まった2年前の誓い

 バドミントンの世界選手権(スイス・19~25日)は、2016年リオデジャネイロ五輪金メダリストの高橋礼華(29)、松友美佐紀(27)組=日本ユニシス=が手にしたことのない主要タイトルの一つだ。ただ、2人が重視するのは、目先の勝敗より五輪2連覇へ向け、成長すること。葛藤の末に現役を続け、東京五輪を目指すと誓った2年前の年末から、2人の間で揺らがぬ信念がある。【小林悠太】

前衛の松友美佐紀(手前)が好機を作り、後衛の高橋礼華が強打を決めるのが、得意パターンだ=さいたま市桜区のサイデン化学アリーナで2019年2月16日午前10時39分、渡部直樹撮影

 念願のリオ五輪金メダルを受け取った表彰式の直後、高橋と松友の気持ちには温度差があった。報道陣に東京五輪を目指すかと問われ、「満足していないので、またやりたい。もっと強くなりたい」と即答した松友に対し、1学年先輩の高橋は「年が年。どうなるか分からない」と言葉を濁した。

 高橋が主に務める後衛はコートを広く動き回る能力が必要で、30歳で迎える東京五輪では体力的に厳しくなることが予想された。リオ五輪前に、高橋はチームスタッフに「五輪で完全燃焼できれば(競技生活を)終えます」と打ち明けており、引退は現実的な選択肢の一つだった。

 しかし、日本バドミントン界初の金メダルで脚光を浴びた「タカマツ」は進退をゆっくり話し合う時間もなかった。ワールドツアーに出続けたが、明確な目標もないため、試合にも練習にも身が入らない。連戦連勝だったリオ五輪前のような安定感はなく、17年初めに腰を痛めた高橋は「もうピークを過ぎた。辞めた方がいいのかも」と周囲にこぼしていた。

 転換点となったのが、17年12月だ。1年間の国際ツアーで結果を残した選手が出場するスーパーシリーズ・ファイナルの出場権を6年ぶりに逃し、リオ五輪後、初めてまとまった時間を取ることができた。

 チームスタッフに「東京五輪まで続けるのかどうか、判断をする最後の機会」と言われた高橋は「松友とやるか、引退するかのどちらか。松友が『先輩とは無理です』と言うなら辞める」と決め、珍しくパートナーを喫茶店に誘い出した。松友の返答は「先輩ともう一度五輪で金メダルを取りたい」だった。リオ五輪で金メダルを目指していた当時より、さらに強い気持ちで連覇を狙うと覚悟が決まった。

 他の選手が「一戦一戦全力で」とよく話すのとは対照的に、高橋と松友は「東京五輪の時に今までで一番強い2人になっていたい」と常に先を見ている。意識するのは、10年代前半に強かった中国ペアのような巧みなコンビネーションプレー。高橋は「今、コンビネーションは自分たちが一番と自信を持っている。自分たちの良いパターンを見せつけ、相手に『このペアはすごい』と思わせたい」と語る。世界選手権も五輪へのステップに過ぎない。

リオデジャネイロ五輪で日本バドミントン界初の金メダルを獲得し、表彰台で涙を流す高橋礼華(右)と松友美佐紀=リオデジャネイロのリオ中央体育館で2016年8月18日、小川昌宏撮影

たかはし・あやか

 奈良県出身。仙台市の聖ウルスラ学院英智中・高卒。高校2年だった2007年夏に、1学年下の松友美佐紀とペアを組み始めた。松友とのダブルスで優勝した主な大会は、16年リオデジャネイロ五輪、全日本総合選手権5回、ワールドツアー・ファイナル(旧名スーパーシリーズ・ファイナル)2回、全英オープン1回、ジャパン・オープン2回など。165センチ。右利き。

まつとも・みさき

 徳島県出身。小中の全国大会のシングルスで優勝。仙台市の聖ウルスラ学院英智高へ進み、2年時の2008年に団体、シングルス、ダブルスで3冠を達成。自身の技術向上を目的に混合ダブルスにも積極的に出場する。159センチ。右利き。

小林悠太

毎日新聞東京本社運動部。1983年、埼玉県生まれ。2006年入社。甲府支局、西部運動課を経て、16年から東京本社運動部。リオデジャネイロ五輪を現地取材した。バドミントン、陸上、バレーボールなどを担当。学生時代、184センチの身長を生かそうとバレーに熱中。幼稚園児の長男、次男とバレーのパスをするのが目下の夢。