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東京へ ともに歩む

毎日新聞

初登院する国民民主党の横沢高徳氏(中央手前)=国会内で2019年8月1日午前8時7分、喜屋武真之介撮影

東京・わたし

パラリンピアン初の国会議員・横沢高徳さん「生きる力や喜び感じられる大会に」

 2010年バンクーバー冬季パラリンピックでアルペンスキー男子座位に出場した横沢高徳さん(47)が7月の参院選で当選し、パラリンピアン(パラリンピック出場選手)として初の国会議員となりました。東京パラリンピックまで1年を切った今、東京大会に期待することなどを聞きました。【聞き手・芳賀竜也】

    バリアフリー環境の改善などを訴える横沢高徳さん=盛岡市で2019年8月20日午後1時40分、芳賀竜也撮影

     ――バンクーバー・パラリンピックに出場した頃に比べ、環境は変化しましたか。

     ◆あの頃から比べたら日本のパラリンピックへの認知度は大きく変わりました。

     ――オリンピック・パラリンピックを総称して「オリパラ」という言葉もできました。

     ◆14年ソチ冬季大会の頃からではないでしょうか。日本では五輪とパラリンピックを必ずしも同等に扱ってきませんでしたが、それは世界的に見ると「特殊」だという空気が生まれてきました。アルペンスキーのワールドカップ(W杯)で海外を転戦すると、「この前、テレビで見たぞ」と話しかけられました。ゴールデンタイムでパラスポーツが放映されているとのことでした。

     ――人々の心も変わりましたか。

     ◆かなり変わったと感じています。私はオリパラ教育にずっと携わっていますが、以前はパラスポーツについて「目にしたことがない、知らない」という子供たちが多かったです。しかし、今ではどの学校に行っても、子供たちは「ああ知っている! 見たこともある!」と目を輝かせます。「パラスポーツの方が面白い」と言う人も増えてきました。そうした流れの中で、参院議員に当選させていただいたことには意味があると思います。

     ――なぜ政治の道を志したのですか。

     ◆競技をしていた時に、日本の社会に矛盾を感じていたからです。海外に行くと、五輪もパラリンピックも同等。スキーで言うと、健常者のスキーチームも、障害者のナショナルチームも同じチームです。

     ところが、日本では全部別々。同じスポーツなのに、日本はどうしてこうなってしまうのか。20年東京大会は、開催都市こそ東京都ですが、国ぐるみでオリパラ一体の機運が醸成されつつあります。国が変われば、社会全体が変わる。政治というのはこれまで遠い存在でしたが、思っていることを声に出して言うことから始まるんだなと思いました。

     ――車いす利用者として、そしてパラリンピアンとして、東京大会の準備で思うことは?

     ◆一番心配なのはホテルの問題ですね。私もW杯遠征でよく海外に行かせてもらいましたが、海外のホテルは一般の客室でもトイレや浴室が広い。バリアフリーやユニバーサルデザインとして設計されているわけではないのに、車いすで困ったことは特にありませんでした。日本の特殊事情だと思うのですが、限られた土地に効率よく旅行者を宿泊させるために、細かい作りになってしまった。特にユニットバスは強敵です。

     ――ユニットバスは1964年東京五輪のレガシー(遺産)ともされています。

     ◆健常者にとっては良かったのかもしれませんが、外国ではあまり見かけません。障害者には使いにくい日本固有の事情になってしまったような気がします。

     ――選手はバリアフリー環境が整った選手村を利用しますが、困ったことはありますか。

     ◆アルペンスキーで言えば、例えば第一線を離れた先輩ら障害者の応援は結構あります。海外では、ジュニア育成を目的に、障害を持つ子供たちをパラリンピックに連れて行くプログラムがあります。実際に選手が活躍し、メダルを獲得する場面を見せて「将来、君たちもメダルが取れるようになろうね」って。そのような観客は選手村に入れないので、街中のホテルのバリアフリー対応が必要です。

     ――岩手県出身のパラリンピアンとして「復興五輪」をどう考えますか。

     ◆実際に被災地を回ると「本当に復興五輪なのか」と疑問に感じられている方もいます。東京大会を機に、しっかりと復興を実感できる社会にしていかなければならないと思います。復興イベントにも関わってきましたが、子供たちは体を動かすことで笑顔になります。笑顔になれば、スポーツを通じて目標や夢を持つことができるようになります。東京大会をきっかけに、子供たちが目標を持ち、「よし、頑張ろう」と生きる力を身につけたり、取り戻したりできる社会をつくっていければと思います。

     ――東京パラリンピックは、どんな大会になればいいと思いますか。

     ◆私が事故で車いす生活になり、どん底を経験していた時に、生きる力をもらったのがテレビで見た98年長野冬季パラリンピックでした。障害を持つ人も、そうではない人も、生きる力や喜びを感じられる大会になればいいと思います。また、パラスポーツはかつてないほどの盛り上がりをみせていますが、一過性で終わらせず、20年以降もつなげていくことが必要です。よくレガシーと言いますが、政治の側からも取り組んでいかなければならない課題だと思います。

    バンクーバー冬季パラリンピックで練習滑走する横沢高徳さん=カナダ・ウィスラーで2010年3月9日、長谷川直亮撮影

    よこさわ・たかのり

     1972年、岩手県矢巾町生まれ。モトクロス選手だった25歳の時、練習でジャンプに失敗して脊髄(せきずい)を損傷。車いす生活になり、チェアスキーと出合った。2010年バンクーバー冬季パラリンピックでアルペンスキー男子座位に出場。7月の参院選では岩手選挙区から野党統一候補として無所属で立候補し、初当選した。現在は国民民主党所属。

    芳賀竜也

    毎日新聞東京本社運動部。1976年、北海道生まれ。2002年入社。北海道報道部を振り出しに東京運動部で水泳、フィギュアスケート、パラスポーツ、東京社会部で東京都庁などを担当。五輪・パラリンピックを夏季2回、冬季4回取材。趣味は歯磨き、靴磨き、床磨き。