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毎日新聞

1980年モスクワ五輪代表の南敏文さん=大津市内で2019年9月3日午前11時9分、倉沢仁志撮影

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レスリング「幻の五輪代表」が教え子・園田新に託す夢

 カザフスタンの首都ヌルスルタンで14日に開幕するレスリング世界選手権で、教え子の活躍を期待する「幻の五輪代表」がいる。滋賀・日野高レスリング部監督の南敏文さん(62)=大津市。日本が不参加となった1980年モスクワ五輪の代表だ。これまで100人以上の選手を育てたが、いまだに五輪代表は出ていない。定年退職後の再任用期間もあと2年半となり「指導者として迎える五輪は東京が最後」。同校出身で男子グレコローマンスタイル130キロ級に出場する園田新(25)=ALSOK=に夢を託す。【倉沢仁志】

    全日本選手権に出場した日体大時代の南敏文さん=本人提供

     南さんは徳島県出身。中学時代は相撲部だったが、2歳上の兄の影響もあり、穴吹高(徳島)でレスリングを始めた。卒業後は、日体大に進学。高校時代は無名の存在だったため「人が寝ている間、休んでいる間に、限界の限界まで追い込んだ」。猛練習で実力を伸ばした。

     大学2年の76年にグレコローマンスタイル68キロ級で全日本学生選手権を制すと、翌年の全日本選手権で初優勝を飾った。そこから国内大会で絶対的な強さを発揮し、82年の全日本選手権まで6連覇。大学卒業後は、県職員として大津市に拠点を置いた。自らを追い込み続ける練習量に裏打ちされた自信は年々みなぎり、「誰とやっても負ける気がしなかった」。競技者としての全盛期を迎え、モスクワ五輪代表に内定した。

    南敏文さん(左)と教え子の園田新=南さん提供

     しかし旧ソ連のアフガニスタン侵攻で、米国や西欧諸国に五輪ボイコットの機運が高まると、その波は日本にも押し寄せた。80年5月、五輪に向けて調整していた東京都内の合宿所で、南さんは日本の不参加決定を知った。代表チームは、その日のうちに解散。自身も荷物をまとめ、大津市へ向かった。車を運転していると、ふいにむなしさに襲われた。「何で出られないのか」「何のためにやってきたのか」。目元を何度ぬぐっても、前を走る車のテールランプがにじんだ。

     目指していた夢はかなわず、競技の一線から退くことを決めた。83年に日野高校の教員として採用されると、レスリング部を立ち上げようと、柔道場の一部を借り、数人で同好会の形で細々と始めた。今では全国高校総体常連の名門レスリング部となり、競技普及のため子どもから参加できる地域総合型スポーツクラブまで発足した。園田も小さいころから道場に通った1人だ。

     園田は、昨年のジャカルタ・アジア大会で男子グレコローマンスタイル130キロ級で24年ぶりの銅メダルを獲得したが、過去4回の世界選手権はいずれも初戦敗退し、世界との壁を痛感している。今大会も厳しい戦いは覚悟しているが、「南先生が小さい頃からどれほど五輪に熱い思いを持っていたかを聞いてきた。父のような存在の先生に、良い報告をしたい」と意気込み、メダル獲得で五輪代表が決まる決戦の地へ飛び立った。

     本来はスポーツと切り離すべき政治に振り回された南さん。「園田には行ってほしいよね」。中央アジアから「息子」の吉報が届くのを楽しみにしている。

    倉沢仁志

    毎日新聞東京本社運動部。1987年、長野県生まれ。2010年入社。高知、和歌山両支局を経て17年から東京運動部。レスリング、重量挙げなどを担当。高校時代には重量挙げで全国高校総体に出場したが、階級で10キロ以上軽い三宅宏実選手の記録には遠く及ばない。