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東京へ ともに歩む

毎日新聞

1964年東京五輪の日本選手団の赤いジャケットを着て、2020年東京五輪への期待を語る石黒昇さん=埼玉県戸田市の自宅で2019年8月4日午後3時8分、小林悠太撮影

Together

「モンロー・ウオーク」と笑われた半世紀前 後輩は「世界一美しい」歩型に成長

 中東カタールの首都ドーハで6日に閉幕した陸上の世界選手権で、男子競歩が金メダルを2個獲得した。2020年東京五輪に向けて期待は高まるが、1964年東京五輪に出場した埼玉県戸田市の石黒昇さん(87)は当時、世界との差を痛感した。悔しさから普及に尽力した元五輪選手は「ルールを守り、正しく、美しく歩いたからメダルが取れた」と後輩の活躍に目を細めた。

    1964年東京五輪男子20キロ競歩で歩く石黒昇さん=本人提供

     金メダルを獲得したのは、男子50キロ競歩の鈴木雄介(31)=富士通=と、同20キロ競歩の山西利和(23)=愛知製鋼。競歩で日本選手が金メダルを獲得するのは五輪、世界選手権を通じて初めてだ。

     「世界一美しい」と言われる歩型で悠然とトップを歩き続けた鈴木。だが、半世紀前は競歩に対する世間の見方は違った。石黒さんは「知名度は低く、練習をしていれば『モンローウオーク』と笑われた」と振り返る。腰を振って歩く姿が、ハリウッド女優のマリリン・モンローのように見えたからという。

     64年10月15日、32歳だった石黒さんは男子20キロ競歩に出場し、1時間39分40秒でフィニッシュした。日本勢最上位の23位。しかし、金メダルの英国選手は10分6秒も速かった。165センチの石黒さんは「自分の頭の位置は海外選手の肩。1歩で10センチ以上違い、勝負にならなかった」と話す。

     競歩との出合いは法大4年の時。長距離走の選手だったが結核で入院を余儀なくされ、医師から「走ったら死ぬ」と告げられた。数年後に退院して競歩に転向すると、中高生のころに毎日新聞を配達して鍛えた脚力を生かし、五輪初出場を果たした。オリンピアンとはいえ、知名度の低い競歩。東京貯金局に勤めていたが、五輪後に職場に行くと、合宿続きだったこともあり、自分の机はなくなっていた。

     五輪直後、国体開催を67年に控える埼玉県の職員に転職。「五輪でメダルを取ってほしい」と競歩全体の普及を目指し、日本陸上競技連盟で審判や強化の委員などを務めた。「日本競歩を強くする会」の副会長になり、年2回の合宿開催や強化費集めに奔走した。海外遠征に向かう代表選手を自宅に泊め、激励したこともある。

     速く歩けるか競うシンプルさゆえ地味な種目と見られてきたが、今回の世界選手権ダブル金で注目種目に。長年にわたる関係者の苦労が実を結びつつある。

     石黒さんは「来年の東京五輪でも50キロと20キロで金メダルを取ってくれると思う」とエールを送った。【小林悠太】

    1964年東京五輪男子20キロ競歩で、国立競技場のトラックを歩く石黒昇さん=本人提供

    小林悠太

    毎日新聞東京本社運動部。1983年、埼玉県生まれ。2006年入社。甲府支局、西部運動課を経て、16年から東京本社運動部。リオデジャネイロ五輪を現地取材した。バドミントン、陸上、バレーボールなどを担当。学生時代、184センチの身長を生かそうとバレーに熱中。幼稚園児の長男、次男とバレーのパスをするのが目下の夢。