メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ALL FOR 2020

東京へ ともに歩む

毎日新聞

読売巨人軍の今村司社長。日本テレビ出身の社長は球団史上初めて=東京都千代田区の読売巨人軍球団事務所で2019年11月19日、丸山博撮影

東京・わたし

「頑張れ日本」から競技を楽しむ五輪に 巨人社長・今村司さん

 今年6月にプロ野球・巨人の球団社長に就任した今村司さん(59)は日本テレビ出身。スポーツ中継をはじめ、ドラマやバラエティーでもヒット番組を連発した元敏腕テレビマンです。また野球日本代表「侍ジャパン」事業を展開する「NPBエンタープライズ」初代社長として、野球のオリンピック競技復活にも尽力しました。スポーツやエンターテインメントへの豊富な知見を持つ今村社長に、東京2020大会への期待や野球界への影響などを聞きました。【聞き手・神保忠弘】

 ――巨人軍の社長になられて約半年、いかがですか。

 ◆楽しいです。自分で手を入れられるコンテンツホルダーというのはいいですよ。彫刻家が良い木を彫るようなものですから。

「ON(長嶋茂雄さんと王貞治さん)」のユニホームが飾られた社長室でインタビューに答える読売巨人軍の今村司社長=東京都千代田区の読売巨人軍球団事務所で、丸山博撮影

 ――思ったことはできましたか。

 ◆一番はグラウンド内よりも、ここの中(=球団内)ですよ。価値観を変えていくということからだと思いますよ。人づくりですよ。

 ――そこをまずは変えていこう、と。

 ◆「ファンファースト」「読者ファースト」「視聴者ファースト」というように価値観を変えないと新聞は売れなくなるし、テレビは見られなくなる。球団が面白くなければ、どんなに報道したって、つまんないんだから。だからメディアの人にも「みんなで一緒に考えましょう」「提言いっぱいしてくれ」と言っています。野球がつまらなくちゃ、野球記者の価値も上がらないんだから。

 ――「記者も一緒に」という意味で象徴的なのは、9月25日に行われた阿部(慎之助)さんの引退記者会見ですね。記者がみんな(阿部さんの背番号)「10」のTシャツを着た。

 ◆あれはウチの若い人間たちが考えたんだけれども、素晴らしいと思いますよ。やっぱりエンターテインメントの会社なんで、どうしたら人の気持ちが一番動くのかを絶えず考える習慣をつけないといけない。もっと驚いてほしい、笑ってほしい、感動してほしい。それを考えるのは責務だと思いますね。

 例えば、ヒーローインタビューで第一声に何を言うかは、すごく大事。日本中が見ている場面でつまらないことを言ったら「この選手は何も考えていないな」と逆パブ(リシティー)になる。逆に気の利いたことを言えば「すごいじゃん」ってなるわけだから。才能や運に恵まれて、その舞台に立てるのだから、それを生かさなきゃ。

配られた阿部のユニホームを報道陣がそろって着る中、引退記者会見に臨む巨人の阿部慎之助(奥)=東京都内のホテルで2019年9月25日午後2時22分、手塚耕一郎撮影

 ――そのようにスポーツエンターテインメントについて考える社長の目から見て、オリンピックというコンテンツをどう考えますか。

 ◆すごいコンテンツだと思いますよ。あれだけ放映権料が高いコンテンツってないですからね。ニーズがあるということですから。世界で一番のイベントじゃないですか。

 ――東京2020大会の注目点は。

 ◆自分の国でオリンピックが開かれるってことは、大概の人間は一生に1回か2回しかない。「この機会に盛り上がんないでどうするんだ」という感じはすごくありますよ。先日のラグビー・ワールドカップ(W杯)で「4年に一度じゃない。一生に一度だ。」というコピーがありましたが、あれはすごいグッときましたね。

 僕も2007年のラグビーW杯をチーフプロデューサーとして担当しましたが、それから12年間で、こんなにスポーツに関する民度が上がるとは思わなかった。07年の時に担当者として考えたのは「ナショナリズムをいかに刺激するか」だけだった。「頑張れ日本」でしか日本人の心を打たないんじゃないか、とね。極力、日本人の選手をフィーチャーして「小さくて弱い日本が、いかに大きな強豪国に挑むか」という図式だけを考えていました。

 それが今は、例えばリーチ・マイケルや具智元(グ・ジウォン)とか、外国出身の人たちが日の丸を背負って、それが普通に見られている。国籍や肌の色を超えてスポーツ、アスリートに対するリスペクトが芽生えてきている。すてきなことだと思いますよ。昔は「頑張れ日本」一辺倒だった。それが世界の一流選手を、日本選手と同じフィルターで見られるところまできた。東京オリンピックは集大成になると思いますよ。

 ――仮にいまチーフプロデューサーとして東京2020大会を扱うなら、どんな視点になりますか。

 ◆日本人じゃなくてもストーリーのある人や、競技そのものに対する(視聴者の)理解が進んできている。19年にラグビーW杯、20年に東京オリンピック……。野球界としては、この流れが21年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)までいってほしいけれど……。毎年毎年、世界的なイベントに触れられて、こんなに素晴らしいアスリートがいるんだ、ということを目にしてほしい。アスリートがヒーロー、ヒロインになる絶対条件は、世界の舞台で戦えていることだと思うんです。

 ――そういう視点での番組の作り方になる?

 ◆「頑張れ日本」だけじゃなくてね。ラグビーW杯の決勝、イングランド対南アフリカなんて(スタジアムの雰囲気は)ほとんど外国ですからね。日本人が改めて競技の応援の仕方だとか、アスリートのたたえ方、競技の楽しみ方を学んでいる。

 07年のラグビーW杯で(英国・ウェールズの)カーディフのスタジアムに行った時、今でも覚えている風景は、夕日の中、おじいちゃんとお父さんと孫、3人がラグビーボールを持って楽しそうに競技場に向かうんですよ。「いいなあ」と思って。日本もそういうふうに変わっていくんじゃないですかね。

 ――プロ野球の球団も一つのスポーツエンターテインメント企業ですが、それに携わる者としてオリンピックから学ぶものは。

熱い口調でスポーツとオリンピックについて語る読売巨人軍の今村司社長=東京都千代田区の読売巨人軍球団事務所で、丸山博撮影

 ◆相当な刺激ですよ。野球は「オリンピックの正式種目になりました」「外れました」「また正式競技です」「また外れます」って繰り返して……。こんなこと普通はない。オリンピックは世界に対する最大のアピールの場なんだから、石にかじりついてでも死守しなければいけない。そのへんの執念が本当に足りない。

 ――NPBエンタープライズの社長時代には、オリンピック競技復活のために努力されましたね。

 ◆相当やりましたよ。日本のスポーツ文化の集大成として、挙国一致というか、みんなでやるんだというムードを醸成しようとしました。ダメなものを上げるというのは、ものすごい熱量がいるんです。

 ――しかしパリ・オリンピック(24年)では、また落ちてしまった。

 ◆ガッカリですよ……。野球は、ものすごく難しい種目なんです。世界に普及しない一番の問題はルールだと思うんです。ルールがわからなきゃ面白くないじゃないですか。これからは、より丁寧に、いろいろなことをやっていかなきゃいけない。日本だけじゃなく海外も視野に入れてね。例えば選手たちのセカンドライフの選択肢のひとつに、海外での指導者があるんじゃないかと。

 ――東京オリンピック・パラリンピックで、いろいろな競技の選手たちの露出が増えていますね。アスリートたちがどう自分をアピールしているかは、野球界にとっても参考になりますね。

 ◆そうそう。ラグビーW杯とか、今度のオリンピックとかに相当刺激を受けていると思いますよ。明らかに(新聞の)紙面を取られているわけだから。学ぶこともいっぱいあるし。球団も同じだと思いますよ。

 なぜ新聞の紙面やテレビの番組になるかっていえば、ニュースだからですよね。ニュースになるには、勝ち負け以外に、どういうストーリーを入れ込んでいるのかです。「注目はこの部分です。ここを見てください!」とやって、それが結果につながれば、そのストーリーが視聴者や読者に刺さるわけじゃないですか。それがプロモーションですよ。

 ――そういう考え方はテレビマンの生活の中で学んだものですか。

 ◆スポンサーからお金をもらって番組を作り、作るだけではなく評判の良いものにしなければいけない。番組の評判が良ければ、スポンサーは喜んで「ウチの番組」って言ってくれるわけです。ジャイアンツも「ウチのチーム」にしたい。スポンサーだけでなく、ファンにも「ウチのジャイアンツ」「僕のジャイアンツ」「わたしのジャイアンツ」になってほしい。そこには何らかの自分が共鳴する部分が必要じゃないですか。それをいかに作れるかが勝負だと思う。

 球団もニュースを発信するしたたかさが必要です。最近は1993年生まれの山本(泰寛内野手)、増田(大輝内野手)、石川(慎吾外野手)、大城(卓三捕手)とかを「花の93年組」みたいに売り出したら、このグッズがけっこう売れている。どんなパッケージにしたら喜ばれるか(球団職員たちが)すごく考えるようになっている。

 ――意識改革が進んでいますね。

 ◆成果が出れば、選手たちもその気になる。僕は制限しないから、若いやつらが考えてやれと。「プロフィルってのは自分が始めたことしか書けないからな」と言っています。自分の始めたことだから書けるわけで「誰々のアシスタントをやりました」なんて書けないだろ、って。失敗しても自分がやったことなら痛みが残るわけですよ。「今度はこうしなきゃいけない」って。痛みをわかると成長しますよ。

 ――最後に個人としてオリンピックの思い出を教えてください。

 ◆現地で取材した、96年のアトランタ・オリンピック開会式でのモハメド・アリ(=聖火リレーの最終ランナー)。あれは強烈でしたね。もともとボクシングが大好きで、憧れの人だった。それがサプライズで出てきて「ああー!」って。世界のスーパースターを生で見られるってことは素晴らしい体験じゃないですか。

 ――アトランタ以外では?

 ◆北京オリンピック(08年)の野球です。あのときは星野(仙一・日本代表監督)さんと一緒に「NEWS ZERO」という番組をやっていて、負けて(=4位)世の中からものすごいバッシングを受けた。星野さんに「番組で『ご心配かけました』ぐらい言いましょうよ」って話しましたよ。星野さんは「なんで謝らなきゃいかんのじゃ」って言っていたけれど、最後は「期待に応えられず申し訳ありません」みたいなことを言ってくれた。大変な大会で、強烈に覚えていますね。

 ――来年の東京オリンピックの野球も、選手たちにはすごいプレッシャーがかかるでしょうね。

 ◆だけど、みんな出たがると思いますよ。野球を世界にアピールする大チャンスです。日本の子どもたちにも、世界と戦っている選手の姿を見せる格好の舞台だと思うんです。野球人口の減少といわれているけど、一番の原点は「憧れ」だと思う。「あの舞台に立ちたい」「あの人のようになりたい」って。それを見せる格好の舞台なので、来年の東京オリンピック、21年のWBCでは世界にアピールするとともに、日本国内の青少年・少女に対して憧れの存在に見えるよう、格好いい活躍をしてほしい。

 ――そのために球団としてできることは全力でサポートすると。

 ◆もちろんです。

いまむら・つかさ

座右の銘を掲げる読売巨人軍の今村司社長=東京都千代田区の読売巨人軍球団事務所で、丸山博撮影

 1960年5月10日、神奈川県横須賀市生まれ。県立横須賀高校、東京大学文学部を経て85年4月に日本テレビ入社。ディレクター、プロデューサーとして、プロ野球、箱根駅伝、ボクシングなどのスポーツ中継のほか、「ザ!鉄腕!DASH!!」などのバラエティー、「スーパーテレビ情報最前線」などのドキュメンタリー、「家政婦のミタ」などのドラマと、数々のヒット企画に関わる。2015年1月1日付で野球日本代表「侍ジャパン」事業を手がける「NPBエンタープライズ」の初代社長に就任。17年春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)後に日本テレビに帰任し、執行役員事業局長。19年6月、読売巨人軍代表取締役社長に就任した。

神保忠弘

毎日新聞オリンピック・パラリンピック室委員/編集編成局編集委員。1965年神奈川県生まれ。89年入社後、小田原支局、横浜支局、運動部、大阪運動部、運動部デスク、運動部長などを経て、2019年5月から現職。学生時代は一貫して帰宅部、私生活は徹底したインドア派なのに、なぜ長くスポーツ報道に関わっているのか時々、不思議に思う。