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2050年のメディア

第2回 3・11の「それから」 地元紙報道部長はこだわり続けた=下山進

2018年10月、地域住民を津波から救った仙台市・荒浜小学校の屋上で。中央左が武田真一さん、中央右が筆者。武田さんの「防災・教育室」の活動は2018年度の新聞協会賞を経営・業務部門で受賞している

 <Susumu Shimoyama “MEDIA IN 2050”>

 義理の父の家は仙台市太白区鹿野本町にあった。二〇一一年の東日本大震災後のゴールデンウイーク、東北新幹線が運転再開したこともあって、片づけを手伝いに行った。そこで、三月十二日の朝刊からの河北新報が、きれいにとってあるのをみつけた。

 三月十二日の朝刊があったことに驚いた。あの日仙台は、朝から雪が降っていた。電気もガスも水道もだめになっている。テレビも見ることができない。

「この朝刊届いたんですか?」そう聞くと、義父は、感に堪えないといった感じで「ああ、まっ暗な中、ゴトンって玄関のポストの音がして、新聞が入っていたんだ。嬉しかったねえ」。

 この話を聞いたその日に、私は河北新報の編集局長宛てに、義父のエピソードをひきながら手紙をしたためた。

「震災のなか、一日も欠かすことなく新聞をつくり続けている河北新報の本をつくりたい」

 ちょうどそのころ、河北新報が、社員にアンケートをとっていたこともあって、とんとん拍子で話が進み、震災の年の十月には『河北新報のいちばん長い日』(河北新報社著 文藝春秋刊)を出すことができた。河北新報が自らも被災しながら、あの未曽有の危機をどのように報道し、新聞を届けていたのか、一級のノンフィクションを出すことができて、編集者としても私の誇るべき仕事のひとつになっている。

 今回書こうとしているのはその本のことではない。本に出てくるある登場人物の「こだわり」のその後についてである。

 本を編集していた時に、実はひとつだけピンとこなかったことがあった。

 それは本の最後が、報道部長(当時)の武田真一さんの「後悔」で終わっていた点だった。この終わり方は武田さんの強いこだわりがあってそうなった。

 武田さんは、地震が起こる前の河北の報道が、「防災」という点で充分だったか、ということを当時から気にしていた。

 しかし、終わり方としては地味だし、まだ被害の全容が次々に報道されているなか、「防災」と言われてもというのが編集者だった私の当時の正直な気持ちだった。そのことの意味がわかるのはずっと後のことだ。

 武田さんは本気だった。

 報道部長を二〇一二年四月にあがり、編集局次長になるが、このころから、防災のための巡回ワークショップ「むすび塾」というのを始める。ワークショップは、やがて、県境を越えて、高知や静岡などの地震による津波被害の予想される地域での開催へと広がり、スマトラ沖地震の津波被害者の体験を聞くというワークショップをインドネシアのアチェ州で開くにあたり、国境も越えた(二〇一三年五月)。

 さらに武田さんは河北新報社のなかに新しい部署「防災・教育室」を二〇一六年四月にたちあげる。ここでは震災の体験の伝承を意図して、「311『伝える/備える』次世代塾」という通年の講座を開講。県外の学生や社会人の参加もあるこの「塾」には、私が上智で教えていた学生も、参加していた。その学生は、「体験した人でなければ、わからないことがある。それを学べる」と話していたが、彼女の言うのは、たとえばこういうことだ。

 大川小学校の悲劇は裁判にもなり、広く全国に知られたが、同じような条件で全校生徒が助かった戸倉(とぐら)小学校の例がある。

 南三陸町志津川の海沿いにあるこの小学校では、マニュアルでは、地震の際には、三階建ての校舎の屋上に避難することにしてあった。ところが、震災の二年前に赴任してきた麻生川(あそかわ)敦校長は、地元住民が、「津波の時に、校舎の上に逃げたのでは孤立してしまう」というのを聞いて、マニュアルは、正しいのかという疑問を抱く。そして、校舎の屋上に逃げるか、裏山に逃げるか、職員の間で幾度となく、議論をさせていた。そして結論の出ないまま、その日が訪れる。

 校長は、強い揺れだったことから、瞬時の判断で裏山の避難を選択する。結果として、津波は、校舎の屋上を遥かに超えた。もし、マニュアルどおりの避難だったならば、全校生徒は津波に呑まれていた。

 麻生川氏は、自分の判断が正しかったからそうなったのだとは思っていない。議論をしていたことで、たまたま助かったのだと強調する。しかし、それが重要だった。大川小学校では、そうした議論をしなかった学校の姿勢を、最高裁の判決が厳しく指弾している。

 そうした経験者の話を聞きながら「次世代塾」の若者たちは、自分たちの中で、次の地震の際にどのような判断をすればいいのかを考える。

 武田真一さんは、二〇一九年三月に河北新報社を定年退職した。

 定年退職後は、宮城教育大にその場を移し、今も特任教授として「防災」の現場に立つ。

 教育の現場に出て行く若者たちがこの問題を考えていれば、また地震が起こった時の学校の対応は違ってくるとの思いからだ。

 地方紙には、地元の記者だけにしかできないことがある。

 武田さんの「報道」から「防災」への転換とこだわりはそのひとつの形だ。


下山進氏

しもやま・すすむ

 2018年から慶應SFCと上智大新聞学科で調査型の講座「2050年のメディア」を開く。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者を務めた。著書に『勝負の分かれ目』『2050年のメディア』など

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