連載

2050年のメディア

文藝春秋で長くノンフィクションの編集者を務めた下山進氏が「2050年のメディア」を展望します。

連載一覧

2050年のメディア

第6回 コロナ禍を打ち破る「ZOOM」米国横断取材 技術は言葉を超える=下山進

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
セントルイスにあるワシントン大学薬学部神経学科のランディ・ベーツマン教授とのインタビューはZOOMで行った 拡大
セントルイスにあるワシントン大学薬学部神経学科のランディ・ベーツマン教授とのインタビューはZOOMで行った

 <Susumu Shimoyama “MEDIA IN 2050”>

 3月18日から4月1日まで、米国出張取材の予定だった。

 次の本『アルツハイマー征服』のため、製薬会社やアメリカの大学の研究者などの取材アポをいれ始めたのは2月20日からだ。

 このときのアメリカの感染者数は、わずかに15人。日本に寄港したクルーズ船の感染者数が、634人になり、対応がまずかったのではないかと、欧米メディアがさかんに報道していたころだった。イタリアの感染者数はわずかに3人だ。

 アポも順調に入っていっていた。

 ところが、それから1カ月で、世界は大きく変わってしまった。この原稿の校了日である4月3日時点で、アメリカの感染者数は24万5070人、死者数5949人。イタリアは感染者数11万5242人、死者数1万3915人。日本も感染者の数は2658人に増え、死者数も71人を数えるようになった。

 医療崩壊がどういうものなのかということを震源地であるニューヨークの地元紙でもあるニューヨーク・タイムズは、文字通り命懸けで報道している。医療崩壊しかかっている病院の現場を、記事のみならず動画でも伝えている。‘People are dying’ 72Hours Inside a N.Y.C. Hospital Battling Coronavirus(「人々が死んでいく」コロナと戦うニューヨーク市立病院の72時間)では、クイーンズ地区の女性の医者が、死者の数が多すぎて、霊安室では足りず、冷凍車を横付けにして、死体をおいていること。交通事故で運ばれてきた患者のCTスキャンをとったらば、肺にコロナ肺炎と同じ症状がみてとれ、コロナの患者と知ったケースなどを戦場のような病院の現場から訴えている。

 そのような状況であるので、当然米国への渡航はできない。が、技術はそうした困難な状況を乗り越えさせてくれる杖(つえ)でもある。

 最初に提案があったのは、セントルイスにあるワシントン大学の教授だった。

「大学の方針で、中国、韓国、イタリア、日本などから来た人とは直接会えないことになった。アポは、延期するか、ZOOMでのインタビューでどうか?」

 ZOOM? 何それ? 調べてみると、ZOOMはウェブ上での会議システム。カメラを使えば相手の顔を見ながらやりとりができ、チャットでテキストを打ち込みながらということもできる。ファイルもその場で共有できる、という。

 ちょっと臆するところもあったが、新しい技術はまず触ってみること、と自分に命じている。やってみるか。

 というわけで、米国でのアポはそのまま、すべてZOOM上でのバーチャルなインタビューにきりかわった。

 ハーバード大学のある東海岸のボストンから、認知症研究で有名なワシントン大学のある中西部の街セントルイス、最後は数々の製薬ベンチャーのあるサンフランシスコという旅程をそのままなぞるような形で。

 時差はそれぞれマイナス13時間、マイナス14時間、マイナス16時間。向こうの午後5時開始が、こちらの朝6時、7時、9時となる。

 ZOOMを使うのは初めて。パソコンにとりつけるカメラを買うところから始まって、友人を使って練習、そして本番。ボストンのハーバード大学教授の映像が映し出されて会話が始まった時の高揚感。

 これ、まったく向こうに行かなくとも同じことができるじゃん。

 困難があっても、新しい技術を使い乗り越えてきたのが人類だ。

 今回のコロナ禍で、コミュニケーションのありかたは、決定的に変わっていくだろう。

 新しい技術に臆せず触っていくことはいつの時代でも大切だ。

 ヤフージャパンが、パソコンからスマホへの展開に出遅れた時のことを、二代目社長だった宮坂学(現東京都副知事)は、こんなふうに語っていた。

「創業時のメンバーはみなパソコンおたくだった。しかし、新しいスマホというデバイスが出てきた時に、それを使い倒すぐらいには使ってはいなかった。だから時代の変化に気がつかなかった」

 アメリカ出張をとりやめて、ついつい気が緩んで見てしまった映画に、「三島由紀夫vs東大全共闘」という映画があった。1969年の「伝説の大討論」の〝50年目の真実〟を描いたと、話題になっていたので見にいったのだが、正直言って面白くなかった。

 作り手のせいではないだろう。1969年に行われたこの議論が、今聞くといかにも幼稚で何も言っていないと感じた。

「解放区」をつくって、そこでは時間も場所も、国家も体制さえもなくなっていく?

 ありえない。

 ああ、全共闘世代の人たちに、こういう議論でけむにまかれて、パワハラされたなあ、と思い出した。

 ぱっと日の光に照らされると、魔術はとけて、「王様は裸」ということがわかるのに。

 登場人物たちは、社会を変えていくのは「言葉」だという。

 確かに。

 しかし、それ以上に「技術」と「経済」が社会をいやおうなく変えていくということの自覚なしに、「言葉」は紡げない。


下山進氏 拡大
下山進氏

しもやま・すすむ

 2018年から慶應SFCと上智大新聞学科で調査型の講座「2050年のメディア」を開く。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者を務めた。著書に『勝負の分かれ目』『2050年のメディア』など

あわせて読みたい

購読のお申し込み
申し込む
この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る