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文藝春秋で長くノンフィクションの編集者を務めた下山進氏が「2050年のメディア」を展望します。

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第66回 立花隆逝く。とてつもない「半可通」は道を示した=下山進

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立花隆さんは、文藝春秋の書き部屋とよばれる部屋でよくカンヅメになって原稿を書いていた。食事はいつも近くの牛丼屋ですませていた、と聞いたことがある。原稿は手書きだった。 拡大
立花隆さんは、文藝春秋の書き部屋とよばれる部屋でよくカンヅメになって原稿を書いていた。食事はいつも近くの牛丼屋ですませていた、と聞いたことがある。原稿は手書きだった。

<Susumu Shimoyama “MEDIA IN 2050”>

 立花隆さんが亡くなった。

 ジャーナリストの条件について論じた立花さんの文章のなかに、「それは何事についてもすぐに半可通になれる能力」を持っていることだという一節があった。

 これは、立花さんの仕事スタイルをそのまま言い表していた。『田中角栄研究』『中核vs革マル』『農協』『宇宙からの帰還』『精神と物質』等々、とにかくテーマを次から次へと変えてしかも専門家を超える独自の視点を持ち得ていた。これはアウトサイダーゆえに、インサイダーの専門家には持ち得ない視点、他の分野との関係性という点からその問題を掘り下げられたからだ。

 この立花さんの発言は、第43回で紹介した、柳田邦男さんが、95年10月に、私が当時勤めていた文藝春秋にやってきて講演をした時に言ったことと同じ文脈になる。

 柳田さんは新潮の出版部長に「次は飛行機のことを書いてはだめですよ」と言われたことにはっとし、原爆によって広島の気象台が壊滅したことで起こった2次災害をテーマにした『空白の天気図』を書く。

 実は、これがノンフィクションを書く人にとってもっとも重要な資質だと私も考えている。新聞記者がなかなか難しいのは、専門と言いながら、結局は科学部なら科学者の、政治部なら政治家の、経済部なら官僚の、思考をなぞり、かれらの情報をとることに血道をあげ、対象を相対的に見る力をなくしていってしまうことだ。その情報がもっと大きな文脈でどういう意味があるのかがわからない、あるいは表現できない。

 立花さんがそのキャリアのスタートが3年間の週刊誌記者だったというのは象徴的。週刊誌は3日で半可通になって毎回テーマをかえていく。

 その後、文藝春秋を辞めて東大の哲学科に入り直した。これもたいへん重要な経歴で、深く物事を考える、その習性はそうしたことからついていったのだろう。

 たとえば当時の週刊誌の職場と似ていると思うのは、現在のニュースショー、あるいはワイドショーの制作スタッフだ。局の社員ではない制作会社のディレクターが、まったく土地勘のない分野について数日で、資料を集め、専門家に話を聞き「半可通」になって番組をつくる。

 しかし、彼らはその分野と関係のない本を読んでいる時間がない。立花さんが文藝春秋を3年で辞めたのも、週刊誌の記者の仕事に忙殺されている間に、読みたい本、読まなければならない本がどんどん机の上につみあがって、ほこりをかぶるようになったのを見て、と社の先輩が話をしていたことがあったが、今日の制作会社の社員にもそういう人がいるだろうか。

 立花さんの作品は、学生時代からよく読んできたが、素晴らしいと思うのは、対象とのフェアな距離感だ。『中核vs革マル』の中核派や革マル派にも、そしてノーベル賞を受賞した利根川進氏にも、おもねることなく、その構造がどうなっているのかという好奇心から書いている。そして取材をうける側も、自分の組織や自身に有利な扱いをしてくれるから接しているのではなく、立花さんの問題のとらえ方に、敬意を持ち、その本人もわからない大きな構造の解明のために協力する。

 新聞記者出身のライターのなかには、注意深く読んでいると、実は読者にむけて書いているのではなく、ソースにむけて書いている人がいることがわかるが、ノンフィクションではそうしたことは本来必要ない。

 実は、冒頭にあげた、「半可通」だが、その背景の知識が圧倒的だったのは、1991年、入社2カ月で、立花さんを担当した文藝春秋の編集者井上敬子(現ダイヤモンド社)が寄せたこんな文章からもわかる。引っ越しの際にでてきた学生時代のテキストを井上は見せてもらうのだが、ギリシャ語、ラテン語の原書の哲学書に書き込みがびっしりとしてあった。

〈ヘブライ語で書かれた聖書までスラスラ読まれたのには、本当にびっくりした〉(自家本『立花隆の25年』の「巨匠vs新人」より)

 もうひとつ、若いころ、私が「そうか!」と膝を打ったのは、編集者の役割だった。立花さんは編集者を尊重していて、その理由を「書き手は読者にとって何がわからないかがわからなくなってしまうから」という趣旨のことを書いていた。

 1993年7月、最初の非自民連立政権が成立することになる総選挙の結果をうけて、月刊『文藝春秋』で立花さんは、原稿を執筆することになっていた。コロンビア大学ジャーナリズムスクールの留学から帰ってきたばかりの私は、先輩編集者がお茶の水の山の上ホテルに立花さんの原稿をとりにいくのを手伝った。手伝ったといってもついていっただけで何をするわけでもなかったのだが、感心したのは、第一稿が入って、それを読んだ編集長と担当のその先輩編集者は、この点についてはわかりにくい、と立花さんにはっきり伝えていたことだった。それを冷静に聞いていた立花さんが、その箇所を見事に書き換えていたことを知るのは、ゲラを読んだ時のことだった。

 立花さんが、月刊『文藝春秋』で「日本共産党の研究」を連載した当時の担当者だった花田紀凱(かずよし)は、立花さんの功績を「日本で最初に調査報道の手法で対象に切り込んだ作家」としていた。

 確かに、それまで立花さんのような書き手はいなかった。田中角栄から、共産党、農協、宇宙、分子生物学、臨死体験、サル学、いったいどうなっているのか、という好奇心の赴くまま、徹底取材し、集めた事実を鳥瞰(ちょうかん)した視点であみなおし、読者にわかりやすく提示した。

 その手法は、今なお、個人の書き手にも、組織ジャーナリズムにも大きな示唆を与えてくれている。


下山進氏 拡大
下山進氏

しもやま・すすむ

 ノンフィクション作家。元慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授。上智大新聞学科で調査型の講座「2050年のメディア」を開く。4冊目の著書『アルツハイマー征服』が発売中

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