連載

2050年のメディア

文藝春秋で長くノンフィクションの編集者を務めた下山進氏が「2050年のメディア」を展望します。

連載一覧

2050年のメディア

第80回 ジョニー・デップ『MINAMATA』よ これが報道写真家だ!=下山進

  • ブックマーク
  • メール
  • 印刷
桑原史成写真展「MINAMATA」は、10月16日(土)まで東京港区西麻布の「ギャラリーイー・エム西麻布」(03・3407・5075)で開催中。入場無料。月・火休館。12~18時まで。 拡大
桑原史成写真展「MINAMATA」は、10月16日(土)まで東京港区西麻布の「ギャラリーイー・エム西麻布」(03・3407・5075)で開催中。入場無料。月・火休館。12~18時まで。

<Susumu Shimoyama “MEDIA IN 2050”>

 ジョニー・デップが主演・プロデュースした『MINAMATA』は、「Based on true events」つまり「史実に基づく物語」と黒いスクリーンに白いテロップがものものしく浮かび上がって始まる。映画では、チッソ社長が、ユージン・スミスに現金で賄賂をわたそうとし、それを突き返す、というシーンや、ユージン・スミスの暗室となっていた小屋が何者かに放火されて全焼するというシーンが描かれたりする。

 どちらも史実ではない。

 監督のアンドリュー・レヴィタスは、「ユージンの物語、被害者の物語、実際の水俣の物語、そして現在世界で起きていることとの関連性」を、多くのリアルな資料によって掘り下げることができた、と映画のパンフレットでは誇らしげに語っているが、これでは、戦前の日本の国威発揚映画や北朝鮮のプロパガンダ映画と変わらない。日本映画『新聞記者』の時にも書いたが、Based on true story と謳(うた)うのであれば、映画の根幹の部分で幼稚なウソを積み重ねてはいけない。人々はそれが「史実」と考えるようになる。

 中でも私がありえないと思ったのは、ユージン・スミスがチッソの経営する病院に医者の変装をしてもぐりこみ、会社お抱えの医者の研究資料を盗写するというシーンだ。このシーンは、工場排水入りの餌を与えたネコが狂ったように踊る実写フィルムも混在させているので、あたかもユージン・スミスが、この盗写によって、「工場排水が原因ではない」と主張するチッソの噓を暴いたかのように観客はうけとる。

 ユージン・スミスが、水俣に入ったのは、1971年9月。実際には、この時点ではすでに、厚生省が、「熊本における水俣病は、新日本窒素肥料水俣工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀化合物が原因である」と発表(1968年9月)し、焦点は、患者への補償にうつっていた。

桑原史成が、1962年8月にチッソ付属病院で撮影した実験記録。排水入りの餌を与えた13匹はすべて1カ月程度で発症し死にいたった、ことがわかる。 拡大
桑原史成が、1962年8月にチッソ付属病院で撮影した実験記録。排水入りの餌を与えた13匹はすべて1カ月程度で発症し死にいたった、ことがわかる。

 チッソの付属病院の医者が、工場排水の有機水銀が水俣病の原因だと知っていたことを、実際につきとめたのは、当時東大の院生だった宇井純(故人)と、報道写真家志望の若者だった桑原史成である。しかもそれは、1962年夏の話だ。

 1962年の時点では、熊本大学の研究班が「原因物質は(工場排水に含まれる)有機水銀である」と指摘していたものの、通産省の息のかかった東工大の教授が「腐った魚を食べて起こした、アミン中毒である」と「有毒アミン説」を発表し、原因については混沌としていた。

 それを宇井は、直接チッソの付属病院の院長である細川一に確認しようとしたのだった。

 今は85歳になった桑原史成その人が語る。

「宇井さんから、一緒に水俣に行きましょうと、と言われた。しかし実際に病院に行ってみると、細川先生は、退職していたことがわかった。それで、細川先生の後任の若い医者が対応したんです。当時東大の学者はチッソの味方だったりしたので、『東大の宇井です』というとすっと入れてしまったんです。

 若い医者は『会社には秘密にしろと言われている』と言いながらもファイルを開いて結構話をしてくれました。そうしたところ『先生電話です』と看護婦が呼びに来て、若い医者は席を中座したんです。そうしたら宇井さんがさっとファイルを手許によせてパーッと見て、あるページから『接写してみて』という。1ページ、ワンシャッターで接写していった。17枚とり終わったところで、足音が聞こえて先生が帰ってくるのがわかった。それでファイルを元の場所に戻したんです」

 ファイルには、工場の排水をネコに飲ませて完全な水俣病の症状が出たことや、排水を濃縮していくと有機水銀の結晶が出て、それを混ぜた餌をネコに食べさせると、やはり水俣病が起こることなどが記されていた。熊本大学の研究班は、海水や魚、動物などの有機水銀の蓄積量を調べて有機水銀説をとなえていたが、肝心のチッソが協力してくれないので、工場排水をとることができないでいた。つまり、これは決定的証拠だった。

 二人は一年七カ月後、このファイルに記された実験を行ったと目される細川一の自宅を訪れる。愛媛県大洲で引退していた細川に、宇井は、「私たちが実験データを一方的に述べますから、先生は黙ったままで結構です。間違っていたら『違う』とだけ言ってください」と迫った。

 が、その夜は細川は、はっきりしたことを言わない。酒が振る舞われてお開きとなった。

 二人を泊めた細川が、この実験のことを話をするのは、翌日の朝食を囲んでいる時のことだった。

 宇井は、「月刊合化」という労働組合の機関紙に13回の連載をしてこの発見を公にした。

 ユージン・スミスが1971年に来日することになったのは、実は1965年に桑原が出版した最初の『写真集水俣病』を、見たことがきっかけだった。その桑原は、ユージン・スミスが1972年に水俣の写真を廃刊寸前のライフ誌に発表した意味をこう語った。

「患者と患者の家族に、国際的な注目は大きな力になった」

 映画については協力は一切求められなかったという。しかしインタビューをうけるにあたって桑原はこう言っていたことも最後に記したい。

「映画のことは悪く言いたくない。けれど何があったかはちゃんと話す」


下山進氏 拡大
下山進氏

しもやま・すすむ

 ノンフィクション作家。著書に『アルツハイマー征服』など。上智大新聞学科で調査型の講座「2050年のメディア」を開く。5冊目の著作『2050年のジャーナリスト』が発売中

あわせて読みたい

購読のお申し込み
申し込む
この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る