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大学倶楽部・明治大

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野球部に受け継がれる伝統を探る 島岡御大のふるさと 長野県高森町

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「御大の館」2階に展示されている、島岡さんに関する資料=高森町牛牧で 拡大
「御大の館」2階に展示されている、島岡さんに関する資料=高森町牛牧で
神宮球場での六大学野球リーグ戦で、身いっぱいに闘志をあらわし選手をひっぱる島岡吉郎さん(中央)=1975年5月 拡大
神宮球場での六大学野球リーグ戦で、身いっぱいに闘志をあらわし選手をひっぱる島岡吉郎さん(中央)=1975年5月

 2016年の東京六大学野球リーグ戦は、明治大学が春秋連覇を果たし、優勝回数を39回まで伸ばした。OBの活躍も目立った。阪神タイガースの高山俊外野手(15年度卒)はセ・リーグ新人王を獲得。広島東洋カープの野村祐輔投手(11年度卒)は16勝を挙げ、25年ぶりのリーグ優勝に貢献した。その明大野球部に連綿と受け継がれているのが、「御大(おんたい)」と呼ばれた元監督、島岡吉郎さんが掲げた人間力野球だ。

 故郷の長野県高森町に、島岡さんの功績を伝える「信州たかもり温泉 御大の館」がある。駐車場入り口そばに「人間力」と刻まれた記念碑が建つ。碑文には「何より練習に重点を置き、キャリアよりひたむきな姿勢と態度を優先」「人間の至誠こそは、限りなき無限の力を生む」と島岡さんの信念が書かれ、人間力野球とは何かを読み取ることができる。

 建物の2階に、島岡さんの愛用品などを常設展示するギャラリーがある。親族から町歴史民俗資料館に寄贈され、1996年の「御大の館」オープンと同時に移された。写真やトロフィー、ノックバットなどを展示。多くのOBが訪れ、「『死ぬまでにもう一度、オヤジに会いに来た』と、写真を見て涙ぐむ方もいます」と宮下淳・事業部長はいう。

 明大野球部は毎年夏、同町で合宿を行い、子供たちの野球教室も開いている。島岡吉郎旗少年野球大会が同町で開かれ、野球に熱心な土地だ。

 松商学園、長野日大の監督として甲子園で通算14勝を挙げ、通信制高校・日本ウェルネス信州筑北の野球部監督を務める中原英孝さん(71)も島岡門下生の一人。64年に入学し、二塁手で神宮でプレー。同期に高田繁さん、1年下に星野仙一さんがいた。島岡さんを「人間的な迫力、野球への情熱はものすごかった」と語る。

 島岡さんの勝負に対する厳しさは半端でなかった。とくに早稲田大にライバル心を燃やし、負ければ鉄拳が飛んだ。夜中、グラウンドに集合をかけ、雨の中、パンツ一枚になり、選手とともに地面に額をこすりつけ、「グラウンドの神様、申し訳ありません」と絶叫したことも語り草だ。

 ただ、重きを置いたのは、野球の技術よりも、練習や日常の生活態度だった。合宿所のトイレ掃除のような仕事を4年生に率先してやらせた。

 中原さんは4年生の秋、母校の松商学園から監督就任の要請を受けた。大学卒業後すぐに名門校の監督になることを島岡さんは気に掛け、松商学園まで一緒に出向いてくれた。学園幹部に会い、「簡単に辞めさせないでくれ」と教え子を託した。島岡さんは選手の就職の面倒をよくみたが、中原さんは「地方まで足を運んでくれたのは異例だった。一番心配してくれた」と懐かしむ。感謝の気持ちを今も忘れず、中原さんは高校生の指導でも「人間力」を伝えている。【小川直樹】

「御大の館」

 「御大の館」(高森町牛牧832の1)は一般財団法人高森町まちづくり振興公社が運営する日帰り温泉施設。営業は午前10時~午後9時半。毎週火曜日休館。宿泊・宴会施設「湯ケ洞」も隣接している。

島岡吉郎(しまおか・きちろう)

 1911(明治44)年、市田村(現・高森町)に生まれる。明大時代は野球経験がなく、応援団長。戦後、野球による青少年育成を通じ、日本復興を目指そうと、明治中(現・明治高)野球部監督を務め、甲子園に3回出場した。52年、当時低迷していた明大野球部の監督に就任。総監督時代を含め、88年まで37年間、指導した。六大学リーグで優勝15回。主な教え子に、秋山登、土井淳、高田繁、星野仙一、鹿取義隆、平田勝男、広澤克実、武田一浩の各選手がいる。89年に77歳で死去。91年に野球殿堂入り。

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