大学倶楽部・学習院大

創作ノートや日記 辻邦生『背教者ユリアヌス』展 壮大な歴史ドラマへの扉

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新装版『背教者ユリアヌス』 拡大
新装版『背教者ユリアヌス』
『背教者ユリアヌス』で第14回毎日芸術賞を受賞し、贈呈式に出席した辻邦生(右から2人目)=1973年1月 拡大
『背教者ユリアヌス』で第14回毎日芸術賞を受賞し、贈呈式に出席した辻邦生(右から2人目)=1973年1月

 濃密で精緻な物語世界を通じて人間精神の気高さを描き続けた作家、辻邦生(つじくにお)(1925~99年)。その代表作にして、誌上発表から半世紀近くを経てなお、読者に「小説を読む至福」を与えずにはおかない壮大な歴史ロマン『背教者ユリアヌス』の特別展が、学習院大の史料館で8月11日まで開催されている。

 古代ローマ末期、キリスト教国教化の陰で消え去ろうとしていた古典ギリシャの普遍的理念の復興を試みる哲人皇帝ユリアヌス(331/332~363年)。歴史の流れに抗して貫かれたその信念と悲劇的な生涯を澄明な叙事詩的文体で描き上げた『背教者ユリアヌス』は、明治以降、自己存在の肯定と否定の間で揺れる「私小説」的伝統を引き継いだ日本文学の中にあって、今なお特異な地位を占めている。

 69年から中央公論社(現中央公論新社)の文芸誌『海』に連載され、72年10月に単行本化された『背教者ユリアヌス』は翌年、第14回毎日芸術賞(文学部門)を受賞した。文芸評論家、翻訳家の篠田一士(はじめ)(27~89年)は、73年元旦の受賞作発表記事に「古代ローマの歴史小説に形を借りた、このういういしい理念小説は日本文学の現状に対する痛烈な批評でもあろう」との選考評を寄せている。

 コンスタンティノポリス宮廷での肉親惨殺の陰謀劇から始まるドラマは、ギリシャ哲学に導かれた学究時代の友情や恋愛、宮廷に召喚されガリア軍団を率いてゲルマン諸族に立ち向かい、ルテティア(パリ)の丘で皇帝に推戴される激動期を経て、メソポタミアの砂漠でササン朝ペルシャとの戦いに倒れるまで息もつかせぬ展開を見せ、物語の世界に浸る喜びを堪能させてくれる。作品の中に生きる人々の波にもまれながら時代精神の変化まで感得できるのは「世界文学」にも通じる醍醐味(だいごみ)だ。

 連載3年余、原稿用紙2300枚の大作について、辻自身は「その作品世界はすでに固有の時間と雰囲気を持っていて、作者の私でも、それを乱すことはできなかった。(中略)やはり作品の意志と呼ぶべきものなのであろう」(「ユリアヌスの廃墟(はいきょ)から」)と記した。

 文庫版は40年にわたって増刷を重ねてきたが、昨年暮れから中公文庫の新装版(全4巻)が順次刊行され、電子化も実現した。新装版の各巻末には加賀乙彦、金沢百枝、須賀しのぶ、山内昌之の各氏による解説のほか、辻自身の手による作品関連のエッセーや盟友の北杜夫(27~2011年)との関連対談が収録され、興味深い。

 特別展では、物語を彩る親友のゾナス、軽業師のディアなど魅力的な架空の登場人物を構想した創作ノートや直筆原稿をはじめ、50年代後半のパリ留学中に仏文学者の森有正(11~76年)を介した遺跡「ユリアヌスの浴場跡」との出合い、初めて古代ギリシャ世界に触れたアテネ・アクロポリス旅行(59年)の日記などを紹介する。連載中、北に宛てた未発表書簡数点も初公開される。無料。

 7月29日の命日にちなむ特別展は4回目。27日には朗読会もある。日曜休館。問い合わせは同史料館(03・5992・1173)。【井上卓弥】

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