名門が復活し、平成最後の大学日本一の座に就いた。1月12日に行われたラグビーの第55回全国大学選手権決勝(東京・秩父宮ラグビー場)で、明治大(関東対抗戦4位)が22―17で天理大(関西1位)を降し、1996年度以来22大会ぶり13回目の頂点に立った。
明治大は5点を追う前半7分に山崎選手、22分に高橋選手と両WTB(ウイングスリークオーターバック)がトライを決め、逆転に成功。12―5で迎えた後半は天理大に追い上げられたが、粘り強い防御が光り、逃げ切った。
準決勝で10連覇を狙った帝京大を破った天理大はFW(フォワード)戦で勢いに乗れず、初優勝には届かなかった。
守って圧力、名門進化
満員のスタンドから起こる「明治」コールの音量が数段階、上がった。5点差に迫られて迎えた後半40分過ぎ。自陣に押し込まれた明治大が前に出ると、右につなごうとした天理大バックスがボールを前に落とした。次の瞬間、歓喜の輪が広がった。主将のSH(スクラムハーフ)福田選手は「ディフェンスが80分間プレッシャーをかけ続けたことで、相手が重圧を感じた」と力を込めた。
決勝の舞台で際立ったのは、22大会ぶりに頂点に立った明治大の防御の精度だ。前半終了間際、NO8マキシ選手を中心に中央突破を図った天理大に対し、フランカー井上選手らが複数で圧力をかけてトライを許さず、7点のリードを保って折り返した。
天理大がボールを大きく動かした後半は2トライを許したが、明治大は1人がタックルした後の素早いサポートを終盤まで徹底。天理大の前進を食い止めた。「明治は2人で(相手を)止めるシステム。その意識をしっかり持ってやった」とWTB高橋選手。井上選手も「フィジカルで負けず、対等に戦えた」と鍛錬の成果が形となって表れたことを喜んだ。
前回大会の決勝は、帝京大を一時リードしながら1点差で敗れた。今季は関東対抗戦で慶応大、早稲田大に敗れ、4位。ノーシードで臨んだ大学選手権では一戦ごとに成熟度を高めた。「選手がタフになり、我慢強く戦ってくれた」と田中監督。倒れても素早く立ち上がり、次の役割を探す。そんな勤勉さが、新生明治の顔だ。
元主将・田中監督「強み磨け」
明治大を名門復活へと導いたのは、就任1年目の田中澄憲(きよのり)監督(43)。平成最後の大学王者への礎となったFWを磨き上げた裏には、長い低迷の入り口となった97年度、主将として味わった挫折があった。
田中監督は96年度、正確なパスを誇る3年生SHとして大学日本一に貢献したが、チーム内は混乱を極めていた。67年にわたって率いた北島忠治監督が96年5月に死去。後任監督は金銭問題で去った。97年度はコーチ陣の集団指導体制に移行したが、実際は田中監督ら学生がチーム作りを主導していた。
「重戦車FW」が代名詞の明治だが、目指したのはバックスの展開力も生かすバランスの取れたラグビー。だが、3連覇を狙った97年度の全国大学選手権は関東学院大に敗れ、準優勝に終わった。「強力な武器(FW)を磨かなければいけなかった」と悔やんだ。
卒業後はサントリーに進み、日本代表も経験した田中監督。この間に常勤の指導者を招いて強化を進めた関東学院大、早稲田大、帝京大が一時代を築いていた。
2017年度、ヘッドコーチ(HC)として低迷していた母校に戻ると、フィジカルの強さを身に着けることに力を注いだ。週5~6日のウエートトレーニングを選手に課し、外国人選手に負けない体を作った。帝京大、天理大ともスクラムで互角以上に戦える伝統の強力FWがよみがえり、名門復活へとつながった。
「部員の努力とハードワークが最高の形になってうれしい。22年、応援していただいたからこそ、今がある」。スタンドを埋めた明治ファンに声を張り上げた。【大谷津統一】
天理大(関西1位) 反3
1 0 0 0 5 2 1 0 0 12 17
T G P D 前 T G P D 後 計
2 1 0 0 12 1 1 1 0 10 22
明大(関東対抗戦4位) 反6