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自由恋愛で民主主義進化? 広岡教授が新説

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インタビューに答える中央大の広岡守穂教授 拡大
インタビューに答える中央大の広岡守穂教授

 「日本を本当に変えてきたのは政治や思想ではなく恋愛だった」。中央大法学部教授の広岡守穂さん(67)は、20世紀の新聞小説を分析した新著「通俗小説論 恋愛とデモクラシー」(有信堂)でこんな洞察を展開している。「安倍1強」が続く政治の世界を見れば日本の民主主義は停滞状態のようだが、身の丈の恋愛や家族関係などに目を向ければ、常に前に進んでいると政治学者は語る。

庶民は政治より家族

 「僕は1970年に東京大の理科1類に入りましたが、数学の実力に限界を感じ、文科1類に移りました。それでも授業をサボり、学生結婚するとすぐに子どもが生まれ、バイトをしながら法学部を卒業した時は26歳でした。就職は研究職くらいしかなく、政治思想史を専攻しましたが、極端に言うと政治などどうでもいい、大事なのは家族だとずっと思ってきました」

 第二次大戦後、日本社会はマルクス主義と自由主義の間で割れたが、広岡さんによれば、国民の多くは二つの「主義」の違いがよく分からずにいた。マルクス主義者に「前衛が労働者大衆を導く」と言われても「なぜ俺たちが指導されなきゃならないんだ」と納得できなかったし、「近代的人間類型」がどうのこうのという自由主義者の言葉も理解不能だったという。

 「ですから、そんな政治思想を研究しても意味がないとずっと思ってきました。50年代、日米関係が二つの『主義』の対立を鎮めたと言う人がいますが、外交関係で落ち着くはずはない。国民が熟考の末、自由主義を選んだというのでもない。個人の民主主義を求める力が働いたんだと思うんです。政治ではなく、恋愛や家族関係を通して」

 ここで言う「民主主義を求める力」が20世紀の通俗小説に、時代が下るごとにじわじわ出てきたという。純文学の場合、知識人や芸術家の研ぎ澄まされた感性や覚醒がテーマになりがちだが、通俗小説の場合、分かりやすい物語の中に時代の平均像、問題意識が込められている。

 1870年代に始まる新聞小説でも大ヒット作品には、その時代の社会が求める理想的な人物をヒロインに据えている。

 大ヒットした「生(な)さぬなか」(1912~13年新聞連載、柳川春葉<しゅんよう>)は、やり手の前妻の画策で家も子どもも奪われ、いじめ抜かれながらも、性格がねじ曲がらない美しい後妻の物語。「渦巻(うずまき)」(13~14年、渡辺霞亭<かてい>)は京都の名家のお家騒動の中、周囲の悪巧みで正妻の座を奪われそうになる無垢(むく)で心優しい女性が主人公だ。

 ひどい嫉妬を浴びたり、裏切られたりしても性格がひねくれない女性像はロングセラーに。ドラマ「細うで繁盛記」(原作・花登筐<はなと・こばこ>の「銭の花」より)の主人公を演じた新珠(あらたま)三千代のように、耐えるヒロインのイメージは20世紀後半までしぶとく残った。

 「第一次大戦前までは恋愛自体がすごく悪いことでしたから。通俗小説のテーマはひたすら忠孝です。駄目な夫に逆らわず献身的に尽くし、耐える妻が一番理想的な女性で、天皇に忠誠を誓う男と一緒です。通俗小説は基本このパターンで、天皇への忠孝と家庭内の道徳が一致していました。ところが大戦後は忠孝が家で通じなくなり、親子、夫婦に対立が出てきます」

 その頃のヒット作が「真珠夫人」(20年、菊池寛)だ。父を陥れた男の妻となり復讐(ふくしゅう)を遂げる話で、夫が死んだ後もいろいろな男をもてあそび死に追いやる、激情を抱えた女性の物語だ。「家や世間、規律から解き放たれ、自己主張を繰り返す女性像は第一次大戦前には全くないものでした。これは大戦後、映画などアメリカ文化が入ってきて、それまで衆愚政治という印象だった民主主義が肯定的に受け止められ、こうしたヒロインが求められたのです。でも国の政治は逆にどんどん帝国主義になっていく時代ですから、政治と社会の股裂き状態が始まるんです」

 小説の中で女性の自立が際立ってきたもう一つの理由は、戦争の影響だと広岡さんは言う。「日露戦争で看護師が増えたように戦争が女性の社会進出を促し、軍隊生活を通して階級の平等化が進んだのです。少し後ですが大ヒットした『愛染(あいぜん)かつら』(37~38年雑誌連載、川口松太郎)の主人公も自立した看護師でした」

足元からじわじわと変わった

 第二次大戦後の典型的な作品は「青い山脈」(47年、石坂洋次郎)で、明治生まれの年寄りを、若い世代が「民主的でない」と非難する場面が頻繁に出てくる。ドラマや映画でも「お父さんは封建的」「家族会議を開くべきよ」といったせりふがよく聞かれたが、作家の関川夏央さんに言わせれば石坂作品は「戦後民主主義を流布させる思想小説」となる。そんな作品で強調されたのが自由恋愛だった。長く忌避されてきた恋愛は第一次大戦後に肯定され始めるが、それがより強まった形だ。

 「20世紀初頭の小説だと、未婚でも女性は自発的に恋愛してはならず、した人はほぼ不幸な目に遭う。ところが第一次大戦後、愛のない結婚を否定し、みな独身男女の恋愛を肯定的に描き始めます。結婚前の恋愛が駄目だったのは獣的な欲望で愛し合うからと見られていました。清い愛ではなく性欲に動かされたからだと。でも『青い山脈』とともにこの欲望も肯定されていくようになります」

 どうもピンとこない。清い愛と欲望の間に線を引けるのだろうか。そう問うとこんな話を始めた。「最近の性意識調査では、高校生の5割の男女が『合意があれば婚前交渉をしてもよい』と回答し、我々の世代の学者はみな驚きました。実際に社会で婚前交渉が増えるのは僕らが20代だった70年代ですが、今は合意があれば愛がなくてもいいのかと受け止めたからです」

 「僕は学生時代に大恋愛をした」と真顔で公言する広岡さんが「愛」というあやふやなものにこだわるのは、恋愛こそが個人、社会を、国を変えるという信念からなのか。いずれにせよ、第一次大戦を機に恋愛に対する縛りが緩み、家族の在り方も多様になり、現在に至ったのは事実だ。政治制度や思想が上から変えたのではなく「人々がそれぞれの恋愛や家族関係を通して、足元からじわじわと温まるように変わっていったのです」。

 広岡さんは、民主主義は国民主権、多数者の意思、少数者の権利という政治的な原理だけでなく、国民自らが変えていく社会的な面が大事だという。「『社会的民主主義』とは個人が起業やNPO活動で社会システムを作るのと、あらゆる偏見から自由になることです。法で定める必要はなく、個人が始め、良ければ広がるのです」

 こうした社会的な面を見れば「平成はジェンダーに対する感受性や障害者に対する視線がすごく変わった時代と言えます。僕の孫はダウン症ですが、僕が子どもの頃だと『ああならなくてよかったね』と大人が普通に言っていました。この30年、民主主義の根を耕したのは政治ではなく人間の心です。(子どもが3歳になるまで母親は子育てに専念するのがふさわしいといった)3歳児神話など、偏見を打ち破ってきたのはこの時代の大きな進歩だと思います」。

 読書など知識で知るよりも、何事も身をもって経験した方が人は何かを学びやすい。日本で民主主義を推し進めたのは個人の恋愛と家族関係だったという仮説がなるほどと思えるのは、この二つはいずれも、大半の人が人生の中で一度は経験する出来事だからだ。【藤原章生】

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