ひととき
多忙と閑散のアンバランスな日常を、どうコントロールするかが肝心
半世紀ほど現場にこだわる記者稼業を続けている。前半はサツ回り記者を少しばかりやっていたが、大半はほぼ一貫して政治がらみのネタを追い続けてきた。
率直に自己体験を語れば、記者稼業は、上司の監視も少なく、多忙といえば多忙だが、自らの工夫次第で閑散の時間も作り出せる。このアンバランスになりがちな日常を、どうコントロールするかが、記者生活を楽しむ上では、肝心だ。そのためにも、記者稼業からは異次元に自らを置く「ひととき」が欠かせない。
政治部に最初に配属になったのは、入社5年目の1974年。時の田中角栄首相が首相官邸で繰り広げる政治行動を、逐一観察する「首相番記者」だった。「社会部記者は名詞を聞き出すことが必要だが、政治家から聞き出すのは語尾のニュアンス」と、先輩から薫陶を受けていた。ICレコーダーもなかった時代だけに、首相との一問一答のメモを作成する上で、頼りになるのは自らの暗記力だけだった。
若かりし頃の働きぶりを再現するため、貴重な資料が残っている。平凡社の百科事典の増補版として刊行された「百科年鑑1980」の企画記事「ある1週間」に寄せた体験記「新聞記者の激動の日々」から引用しよう。当時作成したタイムスケジュールを基にしているだけに、誇張も、思い込みもなく、「真実」あるのみだ。
企画記事に体験談を書いた79年11月の1週間は、「首相番記者」を卒業した後だが、自民党内の派閥抗争がピークを迎えた「40日抗争」の真っ最中だった。政党単位で争われるはずの首相指名選挙に、自民党から2人の候補が立った異常事態だった。自民党を担当していた筆者が作成した1週間のタイムスケジュールでは、「仕事(取材活動)」は5330分と、「家庭(家事など)」の1125分を大きく上回り、毎日平均12時間以上働いていた。ガチガチの「会社人間」ながら、「ひととき」らしき事項も。とうに忘れていたが、「激動の日々」には、「競馬で当たり15万円稼ぐ、娘もはしゃぐ。一家で買い物へ」と記されており、我ながら驚いてしまった。
落語に出てくるような失敗談も
長い記者生活を振り返ってみると、最も多用した「ひととき」は、飲酒だったようだ。記者仲間との「グチ酒」だけでなく、夜回り先での「義理酒」も取材対象者との円滑な人間関係を構築する上で有効だっただけでなく、「ひととき」の効用も享受できた。
上戸ではないが、極めて酒好きの上に、当時の取材対象者はいずれも年長者。それだけに、勧められれば断ることもせず、失礼ながら、落語に出てくるような失敗談も何度となく犯してしまった。例えばこんな具合だ。
政界酒豪三傑の一人ともいわれたB氏は、当時、総理候補の一人に数えられていた。しかし、ユーモア精神旺盛の庶民肌で、夜回りをかけドアチャイムを押すと、さっそく招き上げてくれ、手料理で接待してくれた。「聞きたいポイントはわかっている。その前に、まずこれを空けてから」と、馥郁(ふくいく)とした紫煙をくゆらせながらウイスキーの水割りをよく勧められた。いつしか2人で杯を重ねるうちに、スタート時とは水との割合が逆転した「ウイスキー割」に。底抜けではない筆者は、程なくして白川夜船状態。その直後に政局人事の密談で訪れた同僚議員が、正体をなくした筆者を見つけたものの、「こいつは一度寝たら絶対目を覚まさないから」と、B氏は人事話を続けたと、後からじきじきに聞かされ、せっかくの特ダネは、またしても夢で終わった。
「二日酔いでは翌朝、ものを考えられぬ」と、飲んでも崩れた姿を決して他人には見せない、超大物のA氏との相席で、不覚にもうたた寝をする失態も演じてしまった。叱責されることを覚悟し、臨んだ次の取材で、A氏が掛けてくれた言葉が「今日は寝ないのか」だった。励ましとも、催促とも受け止められると自己流に解釈する一方で、A氏の寛容さに改めて感服させられたことでもあった。
仲間の酒の席では、失態後はよくサカナにされた。だが、「『忙中閑』を味わいたいと『ひととき』を探していただけ」と、強弁することにしている。
松田喬和(まつだ・たかかず)
特別顧問
1969年、毎日新聞社入社。福島支局、東京本社社会部を経て74年に政治部。横浜支局長、広告局企画開発本部長、論説委員を歴任。2004年4月から論説室専門編集委員を経て、現在、特別顧問を務める。09年9月、民主党政権下で首相番を務め、「松田喬和の首相番日誌」を自民党の政権復帰まで連載した。近著に、早野透氏との共著「田中角栄と中曽根康弘」がある。
〈次回は2018年8月6日(月)客員編集委員 奥武則掲載予定〉
