ひととき
常に時間と勝負しつつ、世の中の出来事を追いかけている
あれは、やはり「脂汗」というものだったのだと、いま思う。
むかしむかしの話をお許しいただく。1970年代半ばのこと。当時、私は毎日新聞西部本社(北九州市)の整理部にいた。
整理部という言葉自体は、いまは消えてしまった。出稿部門から記事を受け取り、レイアウトをし、見出しを付け、紙面を作り上げる職場である。
自分で取材して記事を書く外勤記者ではない。支局に4年いて、いっぱし記事が書けるつもりになっていた若造が、そこに放り込まれた。しかし、落ち込んではいられない。コンピューターが電子計算機と呼ばれていた時代である。新聞製作には鉛の活字が使われていた。整理記者がピンセットを器用に使いこなす組み版の職人に指示して一つの紙面を「現物」として組み上げる。見出しに使う活字の大きさやら、レイアウトの基本など、覚えることはたくさんあった。
最初の1カ月、ベテランである「先生」について修業する。その後、一本立ちする。とはいえ新米であることには変わりがない。
社会面は2人で担当する。新米はベテランが作ったレイアウト案をもとに、「ピンセット職人」に指示して版を組み上げる。第二社会面は1人で作る。新米にとって難関はこの第二社会面の担当である。とりわけ短い時間に紙面を次々に作り替えていかなければならない夕刊が大変だった。
記事の出稿が決められた締め切り時間を過ぎることは日常茶飯だった。あわてて出稿して、見出しがつかないまま、隣接した組み版のフロアに走る。「ピンセット職人」に指示して版を組んでいく。一方で、見出しを出稿する。
出稿した記事の行数はおおまかにしかわかっていない。当初のレイアウト案通りにいかないことは多い。臨機に変更し、余った行数はその場で削らないといけない。そのうち新米のあいまいな指示に「ピンセット職人」がいらいらしだしたりする。
それなりに習熟してくると、余裕も出てくる
フロアには大きな時計があった。それをちらちら見る。版を組み上げ、印刷工程に移行しなければならない降版時間が刻々と迫る。
ああ、間に合わない……。ああ、もうだめだ……。そして、顔中が、なぜかべとついてくるのだった。室内が暑いわけでもないのに。
辞書を引くと、「脂汗」は「苦しい時に出る、脂のようなべとつく汗」とある。そう、まことに苦しかったのである。
整理記者として数えきれないほど、脂汗を流した気がする。降版時間をとっくに過ぎているのに版が組みあがらないで焦っている夢を何度見たことか(最近ではさすがに見ることはないが)。
怒濤のような時間が過ぎ、印刷インキで真っ黒になった手を洗濯用の粉石けんで洗い、席に戻ると、刷り上がった新聞が届いている。新米のころは、もうぐったりという感じだったが、それなりに習熟してくると、余裕も出てくる。インキのにおいが残る新聞を開き、自分が作った紙面を見る。自分の付けた見出しやレイアウトに「おっ、なかなかいい出来じゃないか」と、ひそかに思ったりする。整理記者のささやかな至福のひとときである。
いま完全にコンピューター化された新聞製作現場で働く整理記者は、脂汗をかくことも、私が経験したささやかな至福のひとときを持つこともないかもしれない。
だが、時代は変わっても記者たちは常に時間と勝負しつつ、世の中の出来事を追いかけている。整理記者はもとより、彼・彼女らはいまもさまざまなかたちで緊張とそれが解けた後のささやかな至福のひとときとの往還を日々送っていることだろう。
奥 武則(おく たけのり)
客員編集委員
1947年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、70年毎日新聞社入社。鹿児島支局、西部本社を経て東京本社学芸部。編集委員、学芸部長、編集局次長、論説委員、論説副委員長、特別編集委員兼論説委員を経て、現在は毎日新聞客員編集委員。2003~17年法政大学社会学部教授。放送倫理・番組向上機構(BPO)放送と人権等権利に関する委員会委員長。15年「ジョン・レディ・ブラック 近代日本ジャーナリズムの先駆者」で第23回やまなし文学賞(研究評論部門)受賞。近現代日本ジャーナリズムに関する著書多数。
〈次回は2018年9月3日(月)客員編集委員 吉田弘之掲載予定〉
