ひととき
キューバでさまざまな取材をしたが、忘れられない人物がいる
2000年から02年にかけて、フィデル・カストロ国家評議会議長(16年11月25日死去)体制下のキューバを取材するため、駐在していたメキシコ市から定期的にハバナを訪れた。
メキシコからハバナへの直行便があり、キューバへの入国は簡単だ。メキシコ市の空港でツーリストカードを入手する。当時、20米㌦くらいだったと思う。約2時間半でハバナに到着する。その後、ハバナ市内にあるキューバ外務省の出先機関で100㌦を支払い記者証を入手すれば、ほぼ自由に取材できた。ただし、政府のお目付け役とおぼしき取材助手を紹介され、雇うことになる。
キューバでさまざまな取材をしたが、忘れられない人物がいる。写真家、アルベルト・コルダ氏(1928年9月14日~2001年5月25日)だ。
コルダ氏の自宅は、ハバナ市内の海沿いにあった。窓を開放した家に流れ込む空気は、適度の湿気と澄んだ海の潮の匂いを運ぶ風が微妙に交じり合い心地よく、取材の緊張を和らげてくれる。
コルダ氏はキューバ革命後、カストロ国家評議会議長らに随行するなどして、革命政権初期の貴重な実像を撮影し、多数の写真集を出版している。その中でも有名なのが1960年3月4日に発生した貨物船「ラ・クーブル号爆破事件」の犠牲者追悼集会で撮影したチェ・ゲバラの写真だ。
カストロと並び、キューバ革命の英雄だったゲバラは多くの人々を引き付けた。コルダ氏が撮影し「英雄的ゲリラ」と名付けられたゲバラの肖像写真は今なおTシャツなどに印刷され、世界中で売られている。今や「反体制の象徴」というより現代ポップカルチャーの代表作になっている。
取材で、この写真の撮影の経緯や、生で見たゲバラの表情を細かく聞いた。写真のゲバラは、どこか遠く「理想」を見つめるような野性味あふれる表情だが、実際には「体全体が炎のような怒り」に満ちていたという。
時折、大切に保管してある3ペソ紙幣を眺める
コルダ氏は、室内に飾られていたゲバラの肖像写真のほか、約40年前に撮影した木炭を抱いた3歳くらいの少女の写真を見せてくれた。淡々と取材に応じていたが、その時の彼の目は悲しみに沈んだように見えた。貧しいキューバで人形を買うこともできず、少女は木炭を人形と思い込み、肌身離さず持っていたという。彼は「これが写真家としての原点なんだ」と語った。
帰り際、「キューバまで来てくれたお礼だ」と言って、ゲバラの肖像が印刷されたキューバの3ペソ紙幣を私に手渡し、紙幣にサインしてくれた。コルダ氏が訪問先のパリで亡くなったと聞いたのは、その半年後だった。
1959年のキューバ革命後、カストロ政権は61年に米国と断交した。アメリカ財閥のデュポン大邸宅などが今に残る。2015年、オバマ政権時代に外交関係を再開し、今どのように変わっているのかよく分からない。00年当時は、40年前にタイムスリップしたかのような錯覚に襲われた。1950年代のシボレーが走っている。中身は改造してある車が多いものの、外見は変わらない。石造りの建造物などは革命当時の写真のそれと変わっていなかった。
取材を終えた後、夜の街に繰り出した。酒場では夜通しサルサが流れ、市民や観光客が踊りまくっている。酒といえば、キューバのラム酒、ハバナクラブだ。特に7年物は甘い独特の香りと舌ざわりが癖になる。
今でも時折、大切に保管してある3ペソ紙幣を眺める。キューバの熱狂とラム酒の香り、そしてコルダ氏の悲しげな目は、忘れられない思い出として残っている。
吉田弘之 (よしだ ひろゆき)
客員編集委員
1956年福島県生まれ。80年毎日新聞社入社。宇都宮支局、東京本社社会部を経て外信部へ。ロサンゼルス支局、メキシコ市支局、北米総局長、外信部長、編集局次長兼外信部長、新聞研究本部長を経て、現在は毎日新聞客員編集委員、一般社団法人アジア調査会の常務理事・事務局長を務めている。特派員時代は、ペルーのフジモリ大統領失脚の他、中南米各国の大統領選や事件事故、2001年9月11日の米同時多発テロ事件などを取材。北米総局(ワシントン)ではブッシュ政権2期目をカバーした。
〈次回は2018年10月1日(月)客員編集委員 西川恵掲載予定〉
