ひととき
イブ・サンローランの事務所からの招待状
1980年代から90年代にかけて7年間、パリ特派員を務めた。パリは実に出張の多いところで、7年間の出張回数は数え切れず、近隣の東欧、さらに中東、アフリカ、遠くはアフガニスタンまで足を延ばした。
出張は1週間から、長いと数カ月に及んだ。サウジアラビアのダーランでは91年の1〜2月、湾岸戦争の取材で、地上戦が始まるのを待ちながら、ホテルの部屋から目の前に広がる紺碧(こんぺき)のペルシャ湾を2カ月間眺めて過ごした。
出張から戻ると、留守中に届いた郵便物が待っていた。あれはまだ社会主義だったルーマニアから戻ったときだから、パリに赴任して2年ほどたった88年の秋だった。郵便物の中にデザイナーのイブ・サンローランの事務所からの招待状があった。
パリでは春秋にファッションシーズンがあり、その取材には招待状を申請しなければならない。日本ではファッションショーに一般人を入れるが、フランスは完全にプロフェッショナルな場で、招待状を持った専門記者とバイヤーしか入れない。私は毎シーズン、東京本社から取材にくるファッション記者のため申請をしていて、私の名前も2番目に記載していた。「一度ぐらい見てみたい」とのやじ馬根性だった。ただ有名デザイナーは申し込みが多く、1社で2人認められることはまれだった。今回、席に余裕があったのだろう。
当日、取材は東京から来た同僚記者に任せられる気楽さもあって、会場となるパリ中心部のホテルに出かけた。最前列にはカトリーヌ・ドヌーブさんら著名人が顔をそろえていた。突然、会場が暗転し、静寂の中、スポットライトの中に真紅のドレスの女性が現れた。これを合図に部屋いっぱいに音響が鳴り響き、女性のモデルがランウエーに繰り出した。多様な色をすてきに組み合わせた華麗なフレアドレス、白と黒のボーイッシュな上下、万華鏡のようなメタリック素材のパンタロン、アレンジされたタキシード風のドレス……。
注意すれば美は身近にある
サンローランはアルジェリアの地中海に面した第2の都市オランに生まれ、19歳までを過ごした。この故郷の空気と光と熱気が創作の源泉になっていることがひしひし伝わってくる。美しいモデルが着こなすファッションの素晴らしさを、照明、音響効果の演出が一体となって盛り上げていく。私は息をのみ、夢幻のようなひとときに浸り、これまで経験したことのない感動に揺さぶられていた。ショーの最後はウエディングドレスのモデルがサンローランと腕を組んで歩き、万雷の拍手の中をランウエーの向こうに消えた。
支局に歩いて帰る道すがら、何ともいえない幸福感が身体を満たしていた。それは「美しいものを見ることの喜び」といえるものだった。それまで約15年、新聞記者として私は社会部で警察と役所を担当し、外信部に移って国際政治をフォローしてきた。美しいものを堪能する余裕はとんとなかった。またそうした記者生活の中で何かが摩耗し、身近に美しいものがあっても目がいかなくなっていたのではないか。そんな思いが頭を巡った。
これ以来、私は美術館や音楽会に、仕事の都合をつけて足を向けるようになった。もちろんファッションショーも。パリの街をファッションのウインドーショッピングするのも習わしになった。「うまい色の組み合わせをするな」「こういうコーディネートを自分もしてみよう」と足を止める。注意すれば美は身近にある。東京のいまの暮らしもこの延長にある。
サンローランは2008年に71歳で亡くなった。仏紙の追悼記事によると、毎回ショーが終わると魂が抜けたようになり、深刻な鬱に襲われるのが常だった。何とか立ち直ると、次のショーに向けて再び自分を駆り立てていく。この繰り返しだったという。命を縮めるような創作の末にあのひとときはあったのだ、と改めて気付かされた。
西川 恵(にしかわ めぐみ)
客員編集委員
1971年東京外国語大学中国語学科卒業、毎日新聞社に入社。盛岡支局、社会部を経て79年外信部に配属。82~84年テヘラン支局、86~93年パリ支局、96~98年ローマ支局長、98~2000年外信部長。その後、論説委員、専門編集委員を経て16年から現職。フランス政府農事功労賞(07年)、フランス国家功労勲章(09年)。著作に「エリゼ宮の食卓」(97年度サントリー学芸賞)のほか、「ワインと外交」「国際政治のゼロ年代」「知られざる皇室外交」「歴代首相のおもてなし」「饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる」など多数。
〈次回は2018年11月5日(月)客員編集委員 牧太郎掲載予定〉
